執筆・講演

大阪信用金庫「オーナーズクラブ」
2009年2月4日

「揺れても沈まず」
―変化の時代を勝ち抜くためのリーダーの心構え―

 こういう不安定な時代には、「質の経営」しかないというのが私が今日申し上げるもう一つの結論なんです。「質の経営」を行うには、どうすべきか。誰が正しいかではなくて、何が正しいかということを見極めなければならない。ですから、自分は何を基準に価値判断して生きていけばいいのか。

 皆さんは、日ごろ、自問自答していらっしゃると思います。あるいは考えがぐらつくことがあるかもしれません。揺れて揺れて仕方がない場合もあろうかと思います。こういうときに、私は人間としての基本、価値観というものをしっかり持たなければならないぞと言い聞かせます。みずから厳しい変革の処方箋を書くしかない。そして組織改革と社員の意識改革に大胆に取り組むほかないんだと決意し進めてまいりました。

 皆様方も同様に努力されておられると思いますが、日々さまざまなケースが生じることでしょう。大変な思いで経営をしていらっしゃると思います。
 私は、数年に1度、創造と破壊を繰り返してきました。もっと極端な話をすれば、毎日戦略会議を開いて経営をしてきたと言っても言い過ぎではないと思います。安定したと思ったら、ただちに破壊してしまうんです。そして不安定な状態をつくり出すこと。これが企業経営者としての出発点だと私と思います。

 

倫理観を忘れたわずかな人の判断が、経営をコントロール不能にさせ金融危機を招いた

 私は今度の金融危機というのは、米国全体の問題が発生したのではなくて、本当に一部の、少人数の方々が作り出した危機であると言い切ってしまいたい。個人の倫理観を忘れたわずかな人の判断が、経営をコントロール不能にさせた。私企業の経営の失敗が、全世界の人々に多大なる災いをもたらしたということであります。

ものづくりを捨てたアメリカ

 私が二十歳のとき渡ったアメリカは、ジョン・F・ケネディ大統領が誕生しアポロ計画などアメリカン・ドリームに満ち溢れ、燦然と輝いていました。世界の軍事力、経済力、すべてアメリカが奪ったような時代でした。逆に日本は将来、全く発展性がない。この国はだめになるんじゃないかと思うような暗い社会から、天国のような世界に私は身を投じたわけです。

 当時、アメリカの方々は非常にまじめに、最先端の科学、生産技術の開発に取り組み、勤勉な労働者として懸命に働き、夢を実現しようという信念に満ち溢れていました。常に前向きな社会だったんですね。
 ちょうど半世紀前になりますが、トヨタ自動車が初めてアメリカに最初の車を陸揚げし、運転したら坂道が登れなくてエンコしたという時代です。あのトヨタ自動車の車は上り坂が上れないといわれていた時代です。

 当時のアメリカは、ものすごい高級車がどんどん売られ、ハリウッドの映画で全世界にアメリカの力を見せつけていたときなんです。これを支えたのは、製造業だったんですね。ものづくりの経済だった。
 ところが、アメリカの製造業は衰退しました。今では自動車産業くらいしか残ってないですから。ビッグ3と勝手な言葉をいまだに使っているのですが、今、実際にはデトロイト3ですよね。自動車産業を象徴するデトロイトが、今やゴーストタウン化し、信じられないような状況に陥っています。

 もちろん、アメリカにはコンピューターや航空機製造業、あるいは世界をリードするいくつかの分野には、まだまだ力がございますけれども、多くの労働者が額に汗して働くものづくりの現場っていうのは、もうアメリカでごくごく限られたものしかないんです。汗を流して涙を流して、身を削っている人は少なくなった。

 皆さん、ご記憶のある方もあろうかと思いますが、駐日米国大使を務められたアマコストさん。大使を退任されたあとアフラック米国本社の社外取締役としてお迎えいたしましたのでよく存じ上げているのですが、アマコストさんが日本を離れるときに、私におっしゃったんです。「大竹君、ものづくりは日本国に任すぞ」と。「アメリカは金融とサービス、これで世界をリードするぞ」と言って日本を離れられたのは、今でも忘れることができないわけでございます。

 

日本経済の原点は、製造業

 しかし日本は、製造業で活路を見出すべきであるということを、皆さんの資料の中にも入れさせていただきましたが、『選択』という会報誌の巻頭言として、今から10年前に書かせていただいております。本文の一部を紹介しますと、「米国がいち早く得意分野の金融や情報・通信にシフトしたのは、コツコツとノウハウを積み上げる『モノ作り』では日本にはとてもかなわないと考えたからです」。「日本経済の原点は、製造業。国全体がマネー・ゲームにたけた米国とは違う」ということを私はコメントしているわけです。この考えは、現在も全く変わっておりません。

 私は、日本がバブル経済に入ったときも年間50回から60回、全国各地で講演をして回りました。そのときも、「日本的経営というものがある。日本人の民族の血というものがある。こういうものこそ大事に守りましょう」と訴え続けたんですが、受け入れていただけませんでした。大竹は時代に逆行していると。何を言ってるんだと。経団連、同友会、商工会議所でも随分、私は議論をしたんですが、私の意見の賛同者は極く少数派。まず私に味方する人は誰もいませんでした。

 

 ところが今、経団連も同友会も、大竹の言っていたとおりじゃないかと。そこへ戻ろうよという運動が始まって、足りないところはアングロサクソン人の文化で補おうと。180度方向転換しています。政治家の中にも学者の中にも、財界の中にもそういう人が日本をリードしているわけです。
 日本の生き残る道は何であるかといったら、中小企業がかぎを握ってるんだということは、私の一貫した意見です。

 

「質の経営」−質は無限

 企業の最終的な大きな目標は成長です。成長をもたらすのは量的拡大だけでは無理があると思います。特に、こういう時代に入ってくると非常に難しい。であれば、最終的には質しかないではないか。質の向上を図るしかないのではないか。これまでみたいに大量生産、大量消費の時代ではない。ですから、我々は質を大切にしていかなければならないのです。質こそが無限なんです。
この思考を持つには、発想をチェンジしなければなりません。これまで量、数、規模という基準でビジネスの拡大を図ってまいりましたけれども、もはやこれには限界がきたということなんです。

 繰り返しになって恐縮ですが、質は無限です。同じ質であれば、質の高さで競争しないと勝ち抜けません。異質であれば、多様性、種類を広げていかなければならない。

 高い質が問われるのは企業活動のすべてを含みます。商品であったり、販売網であったり、営業活動であったり、経営戦略であったり、人材戦略であったり、すべて高い質が求められます。

 商品に関して言えば、単に性能や品質にとどまらない、商品のコンセプトやお客様に与える価値の差別化です。アフラックでは日本国において最も注力してがん対策に取り組ませていただいております。昨年末、福井県と陽子線がん治療施設の普及に向けた包括的提携に関する協定を締結したばかりです。このように国民のがん対策をアフラックがリードし、担うという使命感でもあります。ですからこれはビジネスではなく社会貢献活動であるのです。また、このことは他の生損保との差別化にもなるのです。

 このように質は無限なんです。当たり前のことができていない、矛盾だらけですのでビジネスチャンスはいっぱいあるのです。先ほどご紹介させていただきました、ブルー・オーシャン。競争のないところで仕事をやっていくことも大事だと思いますが、なかなかそう生やさしいことではないとすれば、質の経営を行う。商品やサービスに関することではなくて、経営の観点から見て本当に宝である人材、いい人を、ダイヤモンドの原石の方々を磨き上げて、そして経営者も質の高い経営を行う他ありません。

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