執筆・講演

広島大学 教養教育科目講義
学問との出会い
2010年5月17日

「与えられるよりも自分で選ぶ人生」
―アフラック創業者が学生達へ伝えたいメッセージ―

 皆さんと同じ年頃には私は読書好きだったこともあり、小説を書いて同人誌に投稿してみたり、ご存知ですか、庄原という地は倉田百三という作家、代表作は『出家とその弟子』ですが、彼を輩出している地でもあるのです。私は高校生の時に百三の妹の艶子さんと地域の句会でご一緒し活動をしておりました。そんなこともたくさんしておりました。
 私も若かったものですから、その庄原を抜け出して作家になりたいと思ってみたり、他の高校生よりは怖いもの知らずのところがあったので多くの大人たちと交流したこともありました。
 それから早、半世紀以上の時が流れ、私は71歳になりました。皆さんはやっと青春の入り口ですが、これからの人生を考えるとても大切な時期であると思います。

1.人生大学―アフラックと出会うまでの32年間の人生
  高校時代に出会った本で夢と希望を描く

(1) 賀川豊彦と大原幽学との出会い
 人生には出会いが沢山ありますが、その1つがその後の人生に決定的に大きな影響を与えることがあります。人生とはまさに出会いの連続であり、時に、とてつもない発想に行き着く出会いになることもあります。私の場合は、高校時代に伝記や自伝を通じて、その後の生き方に大きな影響を受けた人がいます。
 一人は高校時代に古本屋で手に取った本で知った賀川豊彦という人、もう一人は大原幽学、どのような方々だったかはお配りしている資料をご覧いただきますが、二人の共通点は強い信念と使命感を持ち農民や貧民を救済するのに全力を尽くした人たちであります。私は幼い頃から両親に「世のため人のためになれ」の精神を叩き込まれて育ちました。その影響もあって社会のために活動する人物に惹かれたのだと思います。

(2) 挫折を繰り返した前半生
 さて、高校時代に庄原を抜け出したいといろいろ試みてはみたものの結局は作家にもなれず、庄原からも抜け出せずにいたところ、当時の庄原市長の八谷さんから卒業後の進路でアドバイスをいただきました。大学に進学し卒業後は農業指導員になる、という話でしたが、進学後、今度は学長の勧めで米国に留学することになりました。「もっと広い世界へ飛び出したい、精一杯能力を発揮したい」という心の奥底の強い思いにいっぺんに火が付いてしまいました。

 米国から帰国後、知り合いの国会議員から誘いを受けて議員の秘書になったりもしましたが、政治の世界にもなじめずにいたところ、結局は国会議員の事務所に出入りしていた有名な生命保険のセールスマンから声がかかり、生保の仕事に就きました。が、またも、この人の"顧客は無視、利潤追求のみ"という仕事の仕方に納得がいかず辞めてしまうことになりましたが、一つだけ良いことがありました。

 この生保のセールスマンの経験は保険のもともとの思想である「一人は万人のため、万人は一人のため」という奉仕の精神が私が追い求めていた理想的な仕事ではないのかということに、気づかせてくれたのです。
 その後、損害保険会社の代理店を経営しトップセールスマンになるなど懸命に仕事に励みましたが、今振り返ってみますと本当に揺れ動く前半生でした。 数多くの職業を経験し、「自分は何者なのか」、「自分は何を目指しているのか」、「自分は何を持っているのか」、「自分は何ができるのか」、自分が本当に求めている仕事を模索し、人生大学の優等生を目指して必死に勉強を続けて参りました。


2.挑戦する人生

 

(1) 使命感
 さて、皆さんは日本の生命保険会社の歴史というのをどこかで見聞きしたことがあるでしょうか。
 アフラックはまだ今年で創業36年ほどの若い会社ですが、36年前にすでに日本初の生命保険会社である明治生命をはじめとして100年以上の長い歴史を持つ企業が数多くしのぎを削っておりました。そんな大きな相手に立ち向かって先の見えない「がん保険」を売るなど(うまくいくはずがない)、さらに当時がんという病気は先ほどお話しましたように「死の病」と言われておりましたから、まったく勝ち目はありません。しかしながら私のベーシックな部分、「世のため、人のためになるなら」という想いが頭をもたげます。要するに未踏の分野「がん保険」の販売を「使命感」で引き受けた訳です。
 大学生になったばかりの皆さん、ビジネスを全く経験していない皆さんはこれから経済学、経営学など学ばれることになると思いますが経済学的な立場から<売上−コスト=利益>という無機質な計算式だけを考えてしまう、机上の空論とも云うべき浅はかなレベルで経営という経済行為を唱えていることに私は疑いを持ち、挑戦したのです。利益のためにビジネスをやっているのではない、ということをご理解いただきたいと思います。

(2) 社会的使命
 今、NHKの大河ドラマで「龍馬伝」を放送しています。皆さんご覧になっていますか?
 坂本龍馬も非常に魅力的な人物ですが、あの中に登場している岩崎弥太郎、という人物、彼はご存知のとおり龍馬と同じ土佐の出身、130年以上も前の明治6年、1873年に武士から実業家に転身し三菱商会を立ち上げた三菱財閥の創始者でありますが、彼が興した三菱グループに、1934年「三綱領」という経営理念が制定されました。4代目社長の岩崎小弥太の時です。

 三綱領とは、①「所期奉公(しょきほうこう)」②「処事光明(しょじこうめい)」③「立業貿易(りつぎょうぼうえき)」この3つであります。

 今から80年近く前にすでにこういった社是を作っていますが、2004年に三菱自動車、ここが不祥事を起こしました。いっぺんに信用も信頼も崩れた事件ですが、その後、三菱自動車の全社員は"『三綱領」の精神を思い出せ、徹底しようではないか』"と会社の信頼回復に向けて誓い合ったそうです。三菱にも立派な社会的使命を掲げた社是があるのです。しかし、長い間にはこういうことも起こります。いかに創業の精神を、創業者のDNAを持ち続け維持することが難しいかということを物語っています。そして三菱に限らず、それは多くの企業に共通する悩みでもあります。
 企業というものは自分達の利益だけを追求していればそれで良い、というものでないことは皆さんよくおわかりかと思います。三菱の例で申しあげましたが企業というのは儲けを追求することだけでは許されない、ということです。

(3) アフラックの社会的使命 ―民間厚生省の役割―
 私はアフラック創業以来、「アフラックは"お支払いする会社"」すなわち「民間厚生省」と常々申してまいりました。現在では1営業日あたり16.5億円のお支払いをしております。(2008年度実績)
 保険というのは契約者同士がお互いに助け合う相互扶助の精神が根底にあります。保険会社の社会的使命とは契約をいただいてからお支払いに至るまでの長い年月をかけて責任を果たしていくことだと私は信じてやってまいりました。公的な健康保険ではとてもまかないきれない経済的な負担を少しでも減じる、言ってみれば「民間厚生省の役割」、これが私どもアフラックの社会的責任であり、保険会社が果たすべき社会的使命であろうと考えております。おかげさまで昨年10月には保有契約件数も2.000万件を突破し、「日本のインフラの一部」となったと自負しております。

 悩みながらも困難に挑戦する事がなければ今のアフラックはありませんでした。私がアフラックの創業に奔走していた頃は今のように生活者を第一に考えるような時代ではありませんでした。言ってみれば生活者不在で物事が進んでいた。生保業界もそうでした。
 しかし今はそうではありません。社会に役立つ企業として、社会的責任、今で言う「CSR」ですが、それを果たしてこそ初めて社会に認められる企業と言えるのであります。
 日本ではCSRで合格の域に達しているところは10社くらいでしょう。三菱自動車の例もありますが、先だってのアメリカでのトヨタのリコール処理も不十分でしたね。


3. 夢に挑戦

 

「偽り」「嘘」「見栄」が蔓延した世の中
 今、世界中であるいは日本で蔓延している言葉があります。ひとつは偽り、もう一つは嘘、もう一つは見栄、いろいろな場面で繰り返し、繰り返し、世間を騒がせています。
 こんな状況でどう夢を持つのか?と反論されるかたもいらっしゃるでしょう。当然ですね。しかし私は厳しい世の中だからこそ、自分を信じ、真実を見抜く力を身に付ける、自分の夢くらいはしっかり持ち夢の実現に向けて全力で進んでいただきたいと思っています。どんな夢でも諦めずに進めば芽は出てくるものです。希望というのはまだない存在である、ないのに存在する、模索し続けるということの中に希望が生まれます。

 皆さんは厳しい受験戦争を勝ち抜いて難関の広島大学に入学された。高校を卒業し、大学を選んで受験し、見事合格して入学した、ここまでの人生は自分で選んだ人生というより、むしろレールの上を脱線しないで進んできた、といったほうが当たっているのではないかと思います。
   しかしながら皆さん方はおそらく挫折というようなものはまだまだ体験していない。脅かすようですが、これからいろいろなことにぶつかり、その都度もがきながら苦しみながら人生の航海を進めることになるのです。またこうした多くの経験が自分というものを知り、自己を確立し自立できるのだと思います。自分はどんな人かわかるのです。
"人間とはどのように人生の目標に挑戦し勝利を得て幸せな生活を営むのか?"
当たり前のことを当たり前にやる、決して逃げずに真正面から向かい合って問題を解決することです。

揺れても沈まず
 私は2004年に『仕事で本当に大切なこと』という本を書きました。その巻頭に「揺れても沈まず」という言葉を掲げております。私が心打たれた言葉です。
 この変化の速い時代に挑戦を続けていくためには創造的破壊のサイクルを常にくり返していかなければならないのです。揺れるのは当たり前です。大いに揺れればよいのです。

 しかし、決して夢を失ってはいけません。決して諦めてはいけない。揺れることは当たり前で、安定は危険ですらあります。不安定の中にこそ安定がある。
 揺れずまっすぐ進んだなら新たな価値は生み出せない。失敗を恐れず、勇気をもって新しい価値の創造をしていただきたいということをお伝えしたかったのです。

 皆さんは若くてバイタリティがあります。頭も若くて柔らかい。これから4年間の大学生活の中で、柔らかい頭で自分で考えることを習慣付けて欲しい。単位をこつこつときちんと取ることに専念するのも結構だが、自分の人生、目標、夢というものもよく見つめてほしい。大いに議論をしてほしい。

 2008年にノーベル物理学賞を受賞された益川先生、小林先生は共に名古屋大学時代の恩師である坂田教授の「議論は自由に、研究室では平等だ」という教えにより大いに議論を戦わせたことが独創的な研究の母体になったとおっしゃっています。益川先生は京都大学でのノーベル賞受賞の記念対話集会で学生たちに「興味のある分野への情熱を持ち続けること」や「同年代の学友と交流し議論を交わすこと」の重要性を話されております。名古屋大学に負けず、どうかここ広島大学からもノーベル賞を受賞するような人が出てきてほしいと願っています。学問の世界でもリーダーとして引っ張っていくような人を輩出してほしいと思います。興味のある分野への情熱、夢を持ち続けること、これは本当に大切なことです。

おわりに ― 自分で選ぶ人生―
 皆さんには既成概念にとらわれず、小さく纏まらず、はみ出しなさいと言っているのではありませんが、大きく羽ばたいて欲しい。
 一度しかない自分の人生、誰に遠慮する必要もありません。悔いのない様に生き抜いて欲しいと心から願います。しかしながらそうは言っても自分の人生ではありますが責任も持たなければなりません。人間とは言うまでもなく「人の間」と書きます。人の間にいるからこそ「人間」なのです。

 自分だけの人生ではありませんから責任を持つ必要があります。失敗しても自分で選んだ人生ですから誰にも文句も言えません。しかし、先ほども申しあげましたように揺れずにまっすぐ進んだなら新たな価値は生み出せない。失敗を恐れず、勇気をもって新しい価値の創造をしていただきたいと思うわけです。人に引いてもらったレールの上を走る人生より、自分で選んだ人生を揺れながら歩みたいとは思いませんか。充実感がまったく違うと思います。
 私は様々な苦労を重ねながら自分の意思を貫き通してきましたが、71歳になった今、それで本当に良かったと思っています。ここに至るには本当に多くの人に支えられて数々の困難を乗り越えてきました。
 私たちは今、社会の中で「人を愛すること」「慈しむこと」「思いやること」などを見失い、人間的な心を忘れ、疲弊し、道を外し、どこに向かうべきか見失ってさまよっていることすら気づかない忙しさにあるように思います。
 時々立ち止まって静かになって心の声を聴いてみてください。本、特に古典を読むことも良いでしょう。今の人たちは本を読むことが少なくなったと言われていますが、皆さんの心の声に答えてくれるのが昔の人からの手紙とも言える古典であると私は思います。古典を読み考えることでいろいろな基礎力を身につけることができます。
 源氏物語、落語、音楽、映画でも結構です。古典はすぐには分からないかも知れませんが、今日読んだ古典と翌日読んだ古典が全然違って読める。古典が持っている独特のエネルギーが苦しい時に支えとなるのです。

 最後に素直な心で天分を見出し、天分を活かすことが人間としての成功と申しあげておきます。自分自身で自分を生きる、独立・自尊即ち自らに誇りを持つ、誇りは歴史を背負って立つ心と社会を背負って立つ心、そんな言葉をお贈りしたいと思います。良識の最高学府に学ぶ皆さんには社会人としての基礎力を磨いていただいて、世のため、人のために奉仕できる人間になって大きく羽ばたいてほしいと切に願っております。

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