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コラム — 看護について

現実的な准看養成廃止論(「産経新聞」1995年10月17日夕刊)

 厚生省は今月「准看護婦問題調査検討会」をスタートさせ、戦後日本の医療界で常に先送りされ続けてきた最大の懸案、准看問題に真正面から取り組み始めた。来年夏をメドに結論を出すことになるが、これは日本の看護婦が生まれ変われるかどうか、今世紀最後の攻防戦と言ってもいいだろう。 ところで准看問題は次の3点に集約される。

 まず第一に、病院の中には医師以外にもさまざまな医療スタッフが働いているが、そのほとんどは国家資格を持ったスペシャリストである。それなのになぜ、医療スタッフの中核メンバーである看護婦の約半数(87万人中39万人)が、国家資格を持たない“准”看であるのか。いかに准看の存在が軽んじられてきたか、わかるだろう。

 次に、高校卒業後3年以上の専門教育を義務づけられた“正”看に対し、准看は中学卒業後2年以上の教育でよしとされている。それなのに、医療現場ではなぜか同じ仕事を任せられている。看護という仕事自体が、これまでは患者不在で語られてきたことを明確に物語る事実と言えるだろう。

 さらに、准看の多くは“准”という言葉にコンプレックスを持ちながら、正看よりも低い待遇に耐えてきた。制度ができた昭和26年当初から矛盾が指摘され、日本看護協会でも制度廃止の声を上げ続けてきたにもかかわらず、いまだに存続している。看護婦の声を政治が無視し続けてきたことの証しであると言ってもいいだろう。

 日本の医療現場に残された古色蒼然たる准看問題の解決を阻んでいるのは、言うまでもなく日本医師会である。日本医師会が准看制度を守ろうとするのは次の三点である。

 第一に看護制度は看護婦(士)、准看護婦(士)、看護助手の3層で支えるべきであり、すべての看護婦が高学歴である必要はない。
 第二に戦後、准看が果たしてきた役割を高く評価すべきで、廃止すべきという議論は准看の差別につながる。また准看廃止で多くの看護職志望者に門戸を閉ざすことになる。
 第三に医師会が国に代わって看護教育を担ってきた事実を認識すべきであり、開業医の労働力確保のために制度を存続させてきたという認識は謝りである。

 しかし、これら医師会の主張には説得力はない。そもそも准看が正看と同じ仕事をしている状況を3層構造と称するのは実態を無視した暴論である。
 また准看学校生徒の75・7%(1992年看護協会調査)が正看になるためにさらに進学を希望している現状からすれば、准看廃止が看護職希望者に門戸を閉ざすことにつながるとは思えない。看護婦志望者の中で、正看ではなくて准看になりたいと思う生徒などはいないのである。

 看護婦みんなが高学歴である必要はないというのは、看護婦は医者の言うことをよく聞いて、一生懸命黙々と働けばそれでいいではないかという発想である。そこにイメージされているのは医師にとって都合のいい看護婦であり、患者にとっていい看護婦ではない。

 患者の立場から言えば、スペシャリストとして看護面でも人格的にもより優れた看護婦が、いきいきと働いてくれている状況が最も望ましいのである。彼らはよく「看護婦は優しければいいじゃないか」とも言うが、教育レベルが高くなれば人格的に問題が生じると言わんばかりの物言いは、人間に対する侮辱である。

 日本医師会が准看廃止に徹底的に反対する本当の理由は、准看制度がなくなれば、開業医の下に看護婦が集まらなくなるのではないかという不安である。日本医師会の意志決定に強い影響力を持つ中高年会員の大半は、開業医である。そして診療所(入院患者19人以下の施設)に勤務するナースの71・2%が准看護婦(平成4年厚生省調査)なのである。

 しかし、最近は診療所に勤務する正看が激増している。平成4年から一年間で18・5%も増えている。(平成5年厚生省調査)それは診療所が訪問看護の拠点として改めて注目され始めているからである。准看でなければ開業医の下に来ないだろうというのは、国民のニーズに積極的に応えていこうという意欲のない開業医の発想にすぎない。 私は准看制度はすぐにでも廃止すべきであると考えているが、現場への混乱を最小限に押さえるためには、むしろ准看養成を廃止する方が現実的であると思う。イギリスは6年前に准看養成コースをいっせいに廃止して、日本と同じような准看問題を克服したが、その例に習うのが賢明であろう。

 准看養成は医師会が中心となって進めてきたことは間違いないが、彼ら自身それを負担と感じていると言ってきたのだから、養成廃止の方が受け入れやすいはずである。 これまでは日本医師会を支持基盤とする政治家たちによって、准看問題は黙殺され続けてきた。村山政権も人に優しい政治というが、一部の頑迷固陋な医師会に優しくあろうとするのか、より良い看護を期待する国民に優しくあろうとするのか、はっきりさせるべき時が来ていると言えよう。

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