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コラム — 看護について

お粗末な医師会ひょう変(「産経新聞」1997年9月22日夕刊)

 

 総仕上げを迎えようとしていた日本の看護改革が今最大の危機に瀕している。 患者にとって歓迎すべき大改革が、日本医師会のなりふり構わぬ抵抗によって、白紙に戻されようとしているのである。
 去年12月、厚生省の検討会で看護界半世紀の悲願であった准看護婦養成停止が決まった。後は保健婦助産婦看護婦法の改正案がまとまり、国会での審議を待つばかりであった。ところが、医師会がここにきて突如、准看護婦制度存続を求める意見をまとめたのである。
 これは検討会の結論を全否定する内容であり、時代の流れを逆行させるものとしか言いようがなく、関係者を唖然とさせた。その検討会には医師会の代表も参加しており、医師会も同意した上でとりまとめたものだったからである。

 検討会の報告書では「21世紀初頭の早い段階を目途に看護婦養成制度の統合に努める」という表現が盛り込まれた。これをマスコミ各社は「准看護婦養成停止へ」と報道したが、医師会はその報道の仕方そのものが間違っていると言うのである。彼らの言い分は報告書には「努める」としか書いてないから、本当に実現させる必要などないということのようである。
 戦後度重なる検討会では両論併記にしか至らなかった経緯からして、マスコミがそう表現するのは当然のことであって、責任転嫁としか言いようがない。しかも「看護婦養成の統合」とは将来的に准看制度をなくしていくことであり、彼らの准看存続論の意見書は明らかに報告書の主旨を踏みにじったものであることに変わりはない。
 医師会はもともと准看制度存続の必要性を長年にわたって主張してきた。准看がいなくなれば、開業医の下に看護婦を確保することができなくなるという危機意識がその背景にあった。しかし、21世紀に向けてより質の高い看護を求める国民のニーズに応えるためには、准看護婦教育を停止して看護教育一本化にするべきだというのが、検討会の意見の大勢となった。マスコミもこぞって准看養成停止の方向を支持する論調を掲げた。医師会にとっては苦渋の選択であったが、最終的には彼ら自身が改革に向けて歩み寄らざるをえなかったのであった。
 それは現実主義的で、バランス感覚を持ち合わせた医師会会長坪井氏の英断でもあった。医師会以外に准看制度存続にこだわっていた勢力はなかったことから、戦後半世紀にわたって医療現場が抱え続けたこの問題はついに決着の時を迎えたのであった。

 それなのになぜ今になって医師会は突如先祖返りをして、せっかくの合意を無視するような暴挙に出てきたのだろうか。それはひとことで言えば、医師会内部の権力闘争である。検討会の結論に対して内部から激しい反論が噴出して、坪井会長も押さえられなくなったのである。来年の会長選挙での再選を狙う坪井氏が、未だ根強い医師会内部の准看存続の声に迎合し始めたということだろう。しかし医師会内部のつまらぬ争いごとによって、国民医療全体の改革の動きが妨げられていることに対して私は怒りを禁じ得ない。
 考えてみれば、救急医療や看護の問題を一貫して追求してきた私はいつも日本医師会と対立してきた。別に個人的にはなんの恨みもないのだが、私が患者のために必要だと思う改革を訴えると、必ず医師会から猛反発を受けたのである。そのたびごとに私は対決せざるをえなくなり、結果的に私はいつも医師会と対立する立場に立たざるをえなくなっていた。
 しかし、私は誰よりも医師会の立場を理解しているつもりだった。彼らが反発する気持ちをできるだけ受けとめようと心がけてきた。彼らに危機意識を持たせる患者の大病院志向を批判し、むしろ地域の医療を充実させることが大切であり、その担い手たる開業医への大きな期待感を繰り返し主張してきた。
 この欄で准看養成停止の必要性を訴えた時も「21世紀は開業医の時代」だからこそ、この問題を克服するべきだという言い方をした。私がそういう姿勢でいることを心ある医師会幹部はよくわかっており、どんなに激しく対立していても私は医師会と根底では深い信頼関係で結ばれていると信じていた。

 しかし、今回だけは彼らの気持ちはくみ取りようもない。自分で決めたことを自分で否定するというのは、とても尋常なこととは思えない。あまりに子供じみてお粗末な話であり、もはや医師会は組織の体をなしていないのではないかとさえ疑いたくなる。聞き分けのない駄々っ子のようであり、常軌を逸した行動と言わざるをえない。
 それにしても情けないのは厚生省である。厚生省は検討会の報告書にそっていち早く法案作成作業に粛々と入るべきなのにもかかわらず、何をもたもたしているのだろうか。厚生省の中にも医師会の顔色ばかりうかがっている幹部がいるように私には思えるが、それが作業の遅れにつながっているとすれば重大である。厚生省は医師会のためにあるのではなく、国民医療全体のためにあることを改めて確認して欲しい。

 いずれにせよ早く国会の場で決着させるべきである。医師会は必死で政界工作を始めているが、ここにきて一人一人の政治家の質が問われようとしている。選挙での支援を武器に迫られて、医師会の横暴に手を貸すような政治家も出てくるにちがいないが、それは看護の質向上に向けた国民の願いに背を向けるものであることだけは忘れないで欲しい。看護の質をあげるための大改革はもはや一刻の猶予も許されない状況に来ているのである。

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