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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2004年 5月号

 フジテレビの黒岩祐治です。3年ぶりに「NURSE SENKA」に戻ってきて、再び連載を始めさせていただくことになりました。実は今回の連載に合わせて、CS放送の医療福祉チャンネルで「黒岩祐治のメディカルリポート」という番組もスタートすることになりました。医療現場におけるさまざまな矛盾点を取材しながら、患者中心の医療を実現していくための番組にしたいと考えています。このページはその番組との連動で書き進めていきます。CS放送とのコラボレーションという新しい試みに挑戦したいと思いますので、ぜひともよろしくお願いいたします。

 ということで、私自身も意欲満々で第1回目のページを迎えるはずでした。ところがいきなりハプニングに出くわし、波乱の幕開きとなってしまいました。予定していた企画が急に取材できなくなってしまったのです。なんだ、いきなりボツなの?と思われるかもしれません。私もその話しを受けたときには愕然としました。でも、私はあえてそのボツになった企画について、そのいきさつも含めて書くことにしました。取材の現場では取材できなくなるということはしばしばあることですが、実はなぜボツになったのかというところに、最も核心に触れる真相が眠っているからです。

 私が記念すべき第1回目として準備を進めていた企画は、「救急救命士を変えた秋田市消防の闘い」というものでした。私自身、秋田消防の救急救命士のみなさんとは交流を続けており、彼らの真摯な思いを受け止めているからこそ、企画したものでした。彼らの独自の取り組みが救急救命士に気管挿管を認めさせるきっかけになったという歴史を、ひも解こうと思ったのです。

 平成3年に成立した救急救命士法で、救急隊に新たに認められた行為は「救命の3点セット」と呼ばれました。すなわち、点滴、除細動(心臓への電気ショック)、器具を使った気道確保です。当初は医師以外の医療行為は医師法違反だということで、日本医師会が強く反対をしていました。しかし、「医療行為のできる救急隊を実現しよう」と、私自身がニュース番組で展開した2年間、延べ放送回数100回を超えた救急医療キャンペーンなど世論の高まりもあって、新しい資格制度が誕生するに至りました。ただ、最後まで一部の医師たちから抵抗の強かった気管挿管は先送りされ、器具を使った気道確保という形で決着したのでした。

 ところが、秋田市消防本部では、このとき見送られたはずの気管挿管を救急救命士の第1期生から行なっていたのです。心臓呼吸の停止した患者に対して、より有効な人工呼吸を行なうには、きちんとした気管挿管をしなければならないと確信する熱血救急医が、医療現場に救急救命士を招き入れてその技を教えたのです。医師と救急救命士の真摯な研鑽の結果、並の医師以上の技量を身につけた救急救命士が誕生し、救急現場で実際に気管挿管を行なっていたのです。その結果、秋田市では数多くの患者の命が救われ、他地域を上回る救命率を実現しているという報告も行なわれました。

 しかし、「秋田市の救急救命士が法律で禁止された気管挿管を10年近くにわたって実施していた」と、一部マスコミがセンセーショナルに報道したことで、事態は一変しました。厚生労働省は通達を出し、彼らの気管挿管を止めさせました。永年にわたって積み重ねてきた医師と救急救命士の協同作業も終わりました。彼らを擁護する論調もありましたが、人体実験をしていた無法者たちだと、まるで人殺しのような厳しい糾弾をする専門家たちもいました。その頃、私と彼ら救急救命士たちとの交流が始まったのですが、命を救おうと純粋な気持ちで努力を重ねてきた彼らの姿に、私自身も心を動かされました。

 しかし、そのことがきっかけとなり、国でも新たな検討会が始まり、結果的に厳しい条件付きながら、全国の救急救命士に気管挿管が認められることになったのです。そしていよいよこの7月から、実施に向けての研修が始まることになりました。まさに秋田市消防がきっかけを作り、救急救命士の歴史が変わったのです。そこで、私は新番組のスタートに合わせ、秋田市消防本部と当事者の救急医に連絡をし、取材を依頼しました。これまでの経過を総括し、番組にまとめたいと思ったのです。ところが先方から返ってきた答えは意外にも「取材には応えられない」というものでした。

 それは、今も一部では彼らに対する風当たりが強く、自分たちが目立つことで改めて反感を買うことになるのではないかと恐れると言うのです。7月から始まる研修では医療機関や医療関係者の協力が必要とされるため、特に今は静かにしていたいということでした。彼らの気管挿管が話題になったのは数年前のことであって、しかもそれが制度変革にまでつながったのですから、今となっては当然、評価されているものだとばかり思っていました。しかし、後遺症はそんなに簡単には癒えていなかったようでした。私は自分の考えの甘さを思い知らされました。

 「私は秋田の事情は同情の余地は無いものと思います。公務員としての信用を組織として失墜させるばかりの背反行為でもあります。」ちょうど時を同じくして、私の元へ他の地域の消防関係者からメールが寄せられました。自分たちが法律も無視して勝手なことをやって、それがたまたま認められるようになったからっていい気になるなよと言わんばかりの反応でした。法律の制約の中で必死にがんばってきた他地域の救急救命士の気持ちを考えれば、むべなるかなとも思います。しかし、横並びをなによりよしとし、突出することを避ける事なかれ主義は決して誉められたものではないと私は思います。

 革命は法律の枠を超えるところから始まるものです。最終的には、歴史が評価を下すものと思いますが、私は秋田市消防の闘いが正しく評価される日が来るに違いないと思っています。その日が一日も早く訪れることを願っています。

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