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コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2004年10月号

 「さまよえる医療難民」の取材中に出会った老夫婦の現状を知って私たちは言葉を失いました。ご主人はパーキンソン病患者でしたが、その奥さんが同じ神経難病ながら、はるかに状況の厳しいALS(筋萎縮性側索硬化症)を宣告されたというのです。そもそもALS患者さんを受け入れてくれる医療機関そのものがほとんどないのが現状だと言います。私たちは究極のさまよえる医療難民とも言うべきALS患者さんの実態を取り上げることにしました。

 ALSとは脳の運動機能を伝達する神経に障害がおきることによって、全身の筋肉が動かなくなっていく進行性の難病で、全国に約6500人の患者がいます。手足がもつれる、食事がうまくできなくなる、呼吸が苦しくなるなど、徐々に病状が進行していき、最終的には自力で呼吸ができなくなります。人工呼吸器を装着すれば10年以上生きることもできますが、痰の吸引を1日50回ほど行なう必要があり、介護の負担はたいへんです。運動機能は失われていきますが、意識障害は全くないので知的レベルは維持されます。

「運動機能はしっかりしているが、知的機能が失われていくアルツハイマー病とは逆の症状ですね。頭がしっかりしているのに、人間の営みができなくなってくる、それが自分で分かる分だけ辛いですね」

 和田秀樹氏は指摘します。人工呼吸器の装着を拒否する患者さんも少なくありません。年間1000人もの患者さんが、死を選ぶと言います。私たちが取材したALS患者の女性は、人工呼吸器の装着を嫌がっていました。年老いたご主人はほとほと困り果てて、思わず私たちにこぼしました。

「庖丁を持って来いって言うんです。こんなに力がないから死ねるわけないのにね。殺せって厳しいこと言うんですよ」
 患者さんは見るからに苦しそうな様子で、ぜいぜい言いながら、かすれてもつれて聞き取りにくいながらも、必死でその心境を語ってくれました。

「走れない。食べれない。しゃべれない。動けない。生きていても意味がない。みんなに迷惑かけて自分も苦しい」
 悲痛な訴えにどう答えればいいのか分からず、ご主人も涙をぬぐうばかりでした。

 こういった患者の厳しい現状を知ってもらいたいということで、スタジオには自ら患者であって、ALS協会会長を務める橋本操さんが来てくれることになりました。全く動けない患者さんが本当にスタジオに来れるものなのか、また、話すことができないのにインタビューに答えられるものなのか、私たちは何度も確認を取りました。すべて問題ないとのことでしたが、正直言ってどういうことになるのか、私は不安でいっぱいでした。

 スタジオに現れた橋本さんは、文字通りの重装備の車椅子で、傍らには介護福祉士の山田康子さんが付き添っていました。喉に固定されたチューブは人工呼吸器につながっていて、エアーを送るポンプの音が規則正しいリズムを刻んでいます。どの程度の会話ができるものなのか、それによって収録の方法も変わってくるので、本番前に少し話しかけてみました。

 もちろん私の話は完全に分かっておられるのですが、その返事の仕方を見て私は仰天しました。英語の通訳のような速さで、山田さんの口を通じて答が返ってくるのです。山田さんは文字盤も何も持っていません。山田さんは橋本さんの顔を見ながら、なにやら意味不明の言葉を並べ立てていくだけなのですが、しばらくすると、山田さんがきちんと翻訳してくれるのです。私はマジックを見ているような不思議な気分にとらわれました。

 そのワザの秘密を山団さんは教えてくれました。まずは橋本さんが口でアイウエオの形を作ります。かすかな動きですが、山田さんは的確に読み取ります。すると次に、五十音表を頭に浮かべて、アならアの段を山田さんが横に読み上げていきます。「アカサタナハマ・・・」という感じです。そして、その文字に来た瞬間に橋本さんが瞬きをします。それで文字が確定します。それを繰り返していくことによって、文章が出来上がっていくのです。理屈は分かりましたが、いくら橋本さんの表情を凝視しても私には全く判読などできませんでした。

 職人芸としか言いようがありません。これは橋本さんが独自に開発した手法で、これを判読できる介護者は20~30人くらい、みんな橋本さんが教えたのだそうです。

 実は本番に和田秀樹さんが少し遅れてきたのですが、「この私を待たせるなんて、加藤紘一以来だわ」などと、茶目っ気たっぷりに言って、みんなを笑わせてくれました。

 さて、本番ではヘルパーの吸引問題が中心の話題となりました。吸引はこれまで医師と看護師と家族にしか認められていませんでした。在宅で診るのに一日、50回もの吸引を家族だけで支えるのは不可能です。ヘルパーにも認めて欲しいというのが、患者・家族の悲願でした。それがようやく平成15年に認められたということでしたから、私はそれで基本的な問題はもう終わったものとばかり思っていました。しかし、現実はそうではありませんでした。厚生労働省の報告書が「一定の条件の下では当面の措置として行なうこともやむをえない」ときわめてあいまいな表現となっており、実際にはヘルパーの吸引は患者・家族が望むほどには広がっていなかったのです。

「私は一人暮らしで家族はいませんから、家族以外の者がいないと死んでしまいます」

 橋本さんは吸引が医療行為かどうかにこだわるよりも、ヘルパーによる吸引を一日も早く全面解禁してくれるように強く訴えかけました。

 橋本さんは協会の会長として、日本国内を飛び回るだけでなく、先日はデンマークで開かれた国際会議にも出席し、患者・家族のために活動を続けています。現実に対応したサポート体制さえ整備されていれば、普通の生活ができることを自らの生き方を通じてアピールしているその姿に私は感動を覚え、少しでも力になりたいと強く思いました。 

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