HOME > これまでの著書・コラム > NURSE SENKA

これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2004年11月号

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の実態は知れば知るほど、身につまされます。気管切開をして人工呼吸器を装着した患者は一日50回もの吸引がなければ生きていけません。昼夜を問わず、30分おきに痰の吸引をするということは、患者には熟睡が許されないということです。本人にとってもつらいでしょうが、同居して痰の吸引をしなければならない家族の負担も筆舌に尽くしがたいものがあります。

 生まれたばかりの赤ん坊が昼夜を分かたずに泣き、そのたびにミルクをあげ、おしめを代えるという作業ですらどれほどたいへんなものだったか、私自身の記憶の中にもはっきりと残っています。赤ん坊の夜泣きなどは一時的なものであって、しかも子供が成長するという大きな喜びの一貫ですから、耐えることもできます。しかし、ALS患者の場合は、進行性の神経難病ですから、状況が好転することは望めない中での日常となるわけで、精神的な重圧感との闘いが延々と続くことになります。

 しかし、それは逆に言うと、痰の吸引さえきちんとできれば10年以上にわたって生きられるということでもあります。しかも、ただ単に生き長らえるというのではなく、脳の働きはしっかりしていることから、自分の目標実現のためにがんばることもできるし、人生を楽しむことだって不可能ではないのです。ホーキング博士がこの病気と闘いながら、世界的な研究者として業績を上げていることを見れば、それは明らかです。

 前回の放送でスタジオまで来てくださったALS協会会長の橋本操さんも、全身が全く動けない状態でヘルパーなしには生活できません。特に彼女は一人暮らしなので、24時間ヘルパーによって支えられています。しかし、そうして得たいのちを大切にしながら、協会の活動を熱心にこなし、海外での大会にも参加し、私たちとともにスタジオでテレビ出演し、同じ病気で苦しむ仲間たちのために働いているのです。不自由と苦痛だけの日々ではありません。まさに生きがいのある実り豊かな人生を送っているのです。

 患者みんなが橋本さんのように、在宅での完璧なヘルパーの支援態勢を作り、アクティブに生活していけるならいいのですが、なかなかそう簡単にはいきません。在宅介護が家族の過重な負担を強いるものである以上、施設で受け入れてもらうことができれば、患者・家族にとっては大いに救いになるはずです。ところが実際にはALS患者を長期にわたって受け入れてくれる施設はほとんどないというのが現状です。病院にとっても荷が重過ぎる患者なのです。「さまよえる医療難民」と言いながら、実はさまよう先すらほとんどないというのが、このALSなのです。

 貴重な受け入れ先の一つ、東京都立神経病院には20名のALS患者が入院していて、そのうち8人が人工呼吸器を装着していました。それに対して30人もの神経内科医がいて圧倒的マンパワーによって大勢の患者を診ることを可能にしていました。それでもナースは一晩中、走り通しでクタクタになっていました。ナースにとっては30分おきの吸引もハードですが、患者とコミュニケーションが取りにくいことも、ストレスの要因になるのだそうです。これも一般の病院がALS患者受け入れを拒む要因のひとつになっているようです。

 ナースの松本恵美子さんは最近になってようやく透明な文字盤を使い、患者が見ている文字を読みとるという方法で、患者の訴えを聞くことができるようになりました。
「最初はどんなに一生懸命やっても分かりませんでした。それがやっとコミュニケーションが取れるようになって『ありがとう』なんて言ってもらえるようになると、やる気が出てきましたね」
このように経験を積み重ねることによって、医療スタッフのレベルも向上し、受け入れる力がついてきます。しかし、現状では普通の病院はALS患者をほとんど受け入れませんから、経験も蓄積されず、ますます受け入れる力がなくなっていくという悪循環に陥っています。

 本来は公立病院が積極的に受け入れる態勢を整えるべきだと思います。しかし、何故か民間病院も公立病院も大差ないというのが日本の病院の現状です。なんのための公立なのか、公立なら公立らしく民間にはできないことをやるべきです。そもそも病院にとって採算の合う患者ではないことは明らかなわけですから、全面的な公的支援で国が面倒をみるというのもやむをえないことです。

 また、医療スタッフを増員することは難しくても、人員配置の適正化を大胆に進めることによって、補うこともできるはずです。医療スタッフが患者とコミュニケーションを取れないことが障壁のひとつになっているなら、通訳ができるヘルパーヤボランティアをもっと受け入れるべきでしょう。つまり、実態に合わせた柔軟な対応策を講じれば、受け入れることのできる病院を増やすことは可能だと思います。

 もちろん在宅が理想であることは間違いありません。しかし、在宅だけではあまりに過重な負担を必要とする病気であるがゆえに、在宅と病院がうまく連携できる体制が必要なのではないでしょうか。都立神経病院の神経内科医長の川田明広さんは言います。

 「これまではALS患者の実態を理解してもらおうという働きかけが少なかったかもしれませんね。医療費削減の大きな流れの中では難しいことかもしれませんが、行政の方にはぜひ現実を知って欲しいですね。そしてドクターやナースだけでなく、いろんなマンパワーのサポート体制を業務として確立していくことが必要だと思います」

 私自身、さまようことすら許されなかった究極の医療難民、ALS患者の実態を知ることで、医療供給体制のさまざまな矛盾を感じることとなりました。知ることは変革の第一歩です。そして知れば知るほど新たな疑問が次々にわいてきます。番組ではさらにこの問題を深堀りしていきたいと思っています。

» コラム一覧へ

リンクサイトマップ