HOME > これまでの著書・コラム > NURSE SENKA

これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2004年12月号

 ついに恐れていた事件がおきてしまいました。今年8月、神奈川県相模原市で40歳の男性のALS(筋萎縮性側策硬化症)患者の看病に疲れた母親が人工呼吸器の電源をはずし、自らも手首を切って重傷を負うという無理心中事件がありました。一日に50回、30分に一度、痰の吸引をしなければならないという厳しい状況で、周辺からは母親への同情の声も少なからず聞かれました。難病患者を救うシステムの不備が招いた悲劇だったとも言えるでしょう。

 在宅のALS患者を家族だけで支えるのは絶対に不可能です。そのために患者・家族会はヘルパーによる痰の吸引を認めて欲しいと17万8千人の署名を集めました。

 厚生労働省は昨年になってようやく、ヘルパーの痰の吸引を基本的に容認する方向を打ち出しました。これで問題決着かと思いきや、「やむをえないものとして認めるが、業務としては認められない」という実に分かりにくい内容になっています。そのために現場ではかえって大きな混乱を招いているようです。どうしてそういうことになっているのかを調べてみると、日本看護協会の存在が浮かび上がってきました。

 ALS患者の痰の吸引をヘルパーに認めることに対して、日本看護協会が消極的なのです。患者・家族会にとっては切実な願いであるにもかかわらず、どうしてナースが積極的ではないのか、私はかねてから不思議に思っていました。そこで、番組では日本看護協会の山崎麻耶常任理事に伺いました。

 そもそも痰の吸引とは医療行為であり、医師やナースの資格のないヘルパーが行なうことは危険だというのが、日本看護協会の考え方です。具体的にどんな危険が伴うものなのかを確認するために、スタジオでは模型を使って吸引とはどんな風に行なわれるものなのかを説明してもらいました。気管切開された患者の喉には、気管カニューレが装着されており、切開孔からカテーテルを通して痰を吸い出します。カテーテルが気管カニューレ内に留まっているうちはまだしも、それを超えて気管の奥にまで入ると、粘膜を傷つけてしまう可能性があり、たいへん危険なのだと言います。

 山崎さんによりますと、カテーテルが気管カニューレ内にあるか、それを超えて奥まで入っているか、ナースなら手の感触で分かるが、専門的な教育を受けてないと難しい。たとえカニューレ内に収まっている状況であっても、チューブが入っているだけで患者さんは苦しいし、長時間行なわれると低酸素血症などを起こす可能性もある。しかも清潔を保たなければ感染症にもなりかねない。そのためには解剖生理をはじめ、専門的な医学の知識を身につけ、異物が体内に入ることでどうなるかというリスクが分かった上でないと、職業としては簡単に認めるわけにはいかないというのです。

 確かにもっともなのですが、医師でもナースでもない家族が吸引をやっているという現実をいったいどう説明するのでしょうか?取材の中では男性患者のために80歳の母親も、高校生の長女も吸引を日常的に上手に行なっていました。長女は中学2年生のときからやっていると言います。彼女たちは解剖生理も特別の医療専門知識も身につけてはいるわけではありません。見よう見まねでやってきて、患者のいのちを支える重要な仕事を果たしているのです。

「家族はできるんです。家族は側にいて何十回、何百回とやっていますからね」
 要するに、業務としてやれるかどうかと家族がやれるという話は別だということのようでした。しかし、その説明は私の胸にストンと落ちるものではありませんでした。それよりむしろ、ナースが自分たちの領域を侵されることに反発しているだけではないかという疑念の方が深まりました。私は救急救命士制度が誕生するプロセスで似たような話しがあったことを思い出しました。

 平成元年当時、除細動、点滴、気管内挿菅のいわゆる救命の3点セットを救急隊にも認めるべきだという主張に対し、日本医師会はそれらは医療行為に相当するために医師以外の人間に認めることは危険だとして反対しました。当時でも家族が在宅の患者に対して注射をしているという現実はあったのですが、やはり同じように家族が行なえるからと言って業務で行なえるという議論に直結するのはおかしいということでした。

 しかし、日本医師会の主張は医師の領域を荒らされることへの嫌悪感でしかありませんでした。結局、患者・家族の立場にたってみれば、医師法の規制緩和を行って、医師以外の人間にも医療行為の一部を開放するほうがよいということになって救急救命士制度ができたのです。

 私はこれまで日本看護協会とは意見を同じくすることが多かったのですが、それはナースが患者サイドに立つ存在だからでした。しかし、この吸引問題については、患者の立場に立っているように思えないのです。残念ながら日本看護協会の姿勢が「消防士に医療行為ができるか」と頑なに反発を続けたかつての日本医師会とダブって見えてしまうのです。

 日本看護協会としては、3ヵ年計画でALS患者の在宅療養を支援する仕組み作りを進めていこうと独自に取り組んでいる最中であって、決して後ろ向きなのではないということでした。しかしながら、要するにヘルパーの吸引開放に向かおうとしているのか、そうでないのか、方向性が全く示されていないことが私には納得できないのです。本来ならば、どうすればヘルパーにも的確な痰の吸引をしてもらえるようにするかという具体策を提示すべきですが、そうなっていないことはやはり後ろ向きだと思わざるをえないのです。

 私としては全く予期せぬ展開で、ゲストの山崎さんに激しく詰め寄るという進行となってしまいました。納得できないことは納得できないという私の性分ゆえの非礼があったかもしれません。その点はお詫びするととともに、少しも動じることなく必死で議論に応じてくださった山崎さんには感謝します。でも、私は納得してませんよ!山崎さん!

» コラム一覧へ

リンクサイトマップ