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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2005年 2月号

 番組との連動で書き続けてきたこの連載ですが、今回は私のもうひとつの活動について書いてみたいと思います。私は国際医療福祉大学の客員教授を務めており、大学で一般市民公開講座「いのちの社会学」を開催しました。これは私がプロデュースをして、講師をアレンジし、学生と一般市民に受講してもらっているものです。

 大学は栃木県の大田原市にありますが、地方で著名人の講演を聞く機会というのは限られているため、あえて、大物ゲストに次々とご登場願いました。大学が町おこしの一貫になればという思いもこめました。前期、後期合わせて7回ずつでしたが、講師陣の顔ぶれは間違いなく日本一の公開講座と言えると思います。

 「いのちの社会学」と名づけたのは意味があります。私も長い間、看護学生のみなさんと接触してきましたが、いつも気になっていたのが彼らの視野の狭さです。目標はしっかりしているために真面目な学生が多く、それはそれで素晴らしいことです。しかし、同じ世界を目指す人たちしか周りにいない環境で、自分の専門以外にはあまり興味を示さず、学生時代を過ごしてしまう人が多いのです。

 専門性を高める教育は大事です。しかし、医療・看護・福祉などの職業につく人が専門バカになってしまうことはかえってマイナスになりかねません。彼らが職業として相手にするのはみんな生身の人間ですから、人間を幅広く見つめる視野の広さは絶対に求められるのです。ところが教育する側も同じ世界の先輩たちばかりですから、なかなか視野を広める教育は実践されないようです。

 そこで私のような外部の人間が彼らの教育に関わることの最大の意義は、専門以外の世界を垣間見る機会を提供することだと思ったのです。ただ、あまりにも違う世界の話だといきなりはついてこられないかもしれないということで、いろいろ考えました。そして「いのち」という言葉にこだわってみたのです。

 医療・看護・福祉も要するに「いのち」に向き合っている仕事ですが、この最も肝心なことを現場で忘れられているのではないかと思うこともしばしばありました。それが日本の医療の最大の問題ではないかという気もします。手術は成功したが患者は死んでしまったなどという馬鹿げた話は、決して少なくありません。そこで、彼らに「いのち」に向き合っているんだということを、強烈に意識して欲しいと思ったのです。

 また、彼らの専門性と外部の世界をつなぐキーワードが「いのち」ではないかと考えました。「いのち」はいろんな世界とつながっています。外交、安全保障も「いのち」を守るためのものです。経済も農業も環境も「いのち」を支えるものであり、さまざまに彩るものです。政治の目的は究極的には「いのち」に収斂されるとさえ言えるでしょう。教育も宗教も哲学もすべて「いのち」に関係しています。それを包括的に括るタイトルとして「いのちの社会学」と銘打ったのです。

 そして、岡本行夫、森本敏、松本大、榊原英資、北川正恭、櫻井よしこ、石川好など、「報道2001」のゲストとしてお馴染みの面々が次々と、講師を引き受けて下さいました。また、拉致被害者家族の会の横田茂、早紀江ご夫妻にも出かけていただき、拉致問題がいかに「いのち」をないがしろにした蛮行であったかを切々と訴えていただきました。

 私としては我ながらなんと素晴らしい講座が企画できたものかと満足していました。ところが前期の講座では愕然とする事態となりました。受講生のほとんどが一般市民で、肝心の学生がごくわずかしかいないのです。一般市民は受講料を払って、わざわざ聴きに来ているのに、どうして学生が少ないのか、私には理解ができませんでした。すると、学生は専門以外のことや国家試験に関係ないことには興味がないからというのです。

 それでは本末転倒ではないか。学生の視野を広げようと思って企画したのに、興味がないから聞かないというのはいったいどういうことか・・・。私は怒りをどこにぶつけていいか、わかりませんでした。教室に来ている学生の前で怒ったところで、問題は来てない学生の方なんですから意味がありません。学生にとって単位の取れる授業になってなかったことも問題だったのだろうということでした。わざわざ多忙の中を時間を割いて、薄謝で来てくださっているゲストに申し訳ない思いでいっぱいでした。しかし、ゲストにとっては学生であろうが、一般市民であろうが、それは関係なかったようで、みなさん気持ちよく素晴らしいお話しを聴かせて下さいました。

 私は一度だけ、そんな自分の気持ちを受講生に向かって語ったことがありました。すると、前期が終わった段階で、ある教員から分厚い封筒が届きました。なぜ、学生の受講生が少なかったかのアンケート調査の結果が同封されていました。一般市民の前で自分の学生がバカにされたと感じ、彼女の独断で実施したもののようでした。それを見て、私は再び愕然としました。講座の存在自体を知らなかったという学生が多かったのは、大学の広報の問題として次からは改善を期待できたのですが、次のような回答には正直言って頭にきました。

 「ゲストに興味を持てない」「スポーツ選手や有名人などもっと関心を引くゲストだったらよかった」などなど、自分勝手な理屈が並んでいました。また、本人の自筆のメモがコピーされていたのですが、「黒岩さんに興味がない」と書かれたものまで入っていました。何も私に興味を持って欲しいなどとは思ってもいませんでしたが、なんの目的でそのようなメッセージを私に送りつけてきたのか、私には理解できませんでした。この件を大学側に話すと、きっと彼女はたいへんな叱責を受けるだろうと思いましたが黙っていました。彼女も悪意でやったことではなく、学生への愛情がこういう形になって表れただけだろうと思ったからです。

 結局、後期日程では大学側が単位を取れる授業にしてくれたり、広報を徹底してくれたおかげで、学生数も大幅に増えました。また、一般市民と一緒の講義であるがゆえの独特の緊張感も出て、とてもいいムードになりました。おそらく講義に参加した学生にとっても、普段の講義では味わえない大きな刺激をもらったことと思います。

 しかし、こういう形の講座は今回で終わりにしようと思っています。いつかみなさんに切望されたら、企画することもあるかもしれませんが、自分から押しかけていくようなことはもう辞めておこうと思っています。その代わり、来期は赤坂の大学院の方で面白いことを仕掛けようと今から密かに企画を練っているところです。

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