HOME > これまでの著書・コラム > NURSE SENKA

これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2005年 8月号
ALS患者の気持ちは生と死の間を揺れ動いている

人工呼吸器の電源を切って殺人罪に問われた母親
 全身の運動神経がマヒして、人工呼吸器に頼らないと生きられない状態になったALS患者が「死にたい」と言った時、周りの人は死なせてあげることができるのかどうか。今回の「メディカルリポート」はALS患者の「死ぬ権利」をめぐる議論を取り上げました。
 平成16年8月、神奈川県相模原市で起きた事件は、この議論の発端となりました。40歳の男性患者の人工呼吸器の電源を切った母親が殺人罪に問われました。しかし、この患者は生前、延命治療を望んでいなかったことが分かりました。患者が自分自身で電源を切ることができれば自殺になりますが、ALS患者はそれさえできません。
 この母親は24時間、一人で介護をしていました。30分に一回の痰の吸引をしなければならない過酷な介護を、たった一人で行うのは無理があったでしょう。疲れ果てた母親が、息子の将来を悲観し、本人の“希望”を叶えるカタチで電源を切ったというのは心情としては理解できます。しかし、今の法律の下ではあくまで殺人罪が適用されざるを得ませんでした。
 私たちは患者自身がどんなふうに思っているのか、インタビューを集めました。一言も発することができないにもかかわらず、残されたかすかな機能を使ってパソコンを駆使し、たくさんの患者が自分の考えを寄せてくれました。
「はじめは呼吸器をつけないつもりでいました。家族や子供のことを考えた上でのことでもあり、また、潜在的には生きたいという気持ちがあったと思います。人工呼吸器をつけた人生も悪くないと思います。ただ、将来的に意思の疎通ができなくなったら、呼吸器を外してほしいと思います」(照川貞喜さん(64)人工呼吸器歴13年)
「複雑な思いがあります。家族に負担をかけず、患者が自分らしく生きる療養体制がしっかりしていれば、多くの患者がもっと生きたいと思うはずです。病気、障害に関係なく、誰でも一度や二度はもう死んでしまいたいと思ったことはあると思います。ただ、それは一時の感情なのか、当初からの思いなのか、簡単には評価できない複雑なものです。
 尊厳死についてはALSの立場から言えば、生きるための環境整備が最優先です。現状の医療に数多く問題点を含んでいるのに、死の環境整備を優先することは、医療の質の低下を招くことになると思います」(海野佶さん(67)人工呼吸器歴10年)

子供の成長を見届けたいと思い人工呼吸器を装着
「私はALSの告知を受けた時、介護の大変さを思い、人工呼吸器をつけずに、その日が来たら最期を迎えるつもりでおりました。しかし、家族と過ごしているうちに、子供の成長を見届けたいと願い、人工呼吸器をつけても生き続けたいという思いに変わりました。
 人工呼吸器をつけた後で外したいと考えたことはあります。家族と介護がうまくいかなかったり、私の介護のために家族に重い負担を強いていると感じた時です。尊厳死については肯定します。患者本人に選択肢が増えることは大賛成です。ただし、終末期医療やターミナルケア、ホスピスなど、もっと充実させるべきだと思います」(小出喜一さん(56)人工呼吸器歴7年)
 ALS患者は運動機能はなくなっても、頭脳がいかに明晰か、改めて痛感するような文章の数々で、その言葉の重みにハッとさせられます。患者が死にたいと思ったら死なせていいかという問いかけに対し、私たちが注目しなければならないのは、患者の気持ちは揺れていて、ひとつの気持ちが続いているわけではないということです。今は死にたいと思っていても、次の瞬間には生きたいと考えているかもしれません。
 ALSの母親を介護しているALS協会の川口有美子さんは言います。
「人工呼吸器はつけないで死ぬんだと言っていた母が、いつのまにか、大工さんを呼んで介護用の設備を作らせていたんです。また、いよいよ具合が悪くなって、救急車で運ばれる時は、『助けて』と言ってましたしね。『死にたい』って言ったかと思えば、『生きててよかった』とも言う。気持ちは変わるんです」
 現状では、人工呼吸器をつけるかどうかの時に、それを拒否することで患者自ら死を選ぶことはできます。しかし、いったんつけてしまえば、外すことはできないのです。意思の疎通ができなくなったら、延命はやめてほしいと考える人も多いようです。でも、実際にそういう状況になった時には、また、気持ちは変わっているかもしれませんから、話は複雑なのです。

介護体制を置き去りにし「死ぬ権利」の議論が選考するのは本末転倒
 日本尊厳死協会の上田建志常任理事は、システム作りの必要性を訴えます。
「生前に意思表示ができなくなった時に備えて、患者と医師が合意形成をしておくこと、そして、延命治療を拒否する前提条件としてのきちっとした法整備が必要です」
 法整備といっても、具体的に法律の中にどんなふうに書き込むべきなのかについては、まだまだ研究が必要でしょう。法律があることによって、安易に死が選択されていくようになるなら、それはまた大きな問題です。
 患者の海野さんの言葉にもあったように、「死の環境整備より生きるための環境整備が優先されるべきだ」というメッセージは重大です。介護体制がシステムとして完備されてさえいれば、「家族に負担をかけるから死にたい」と思う人は激減するでしょう。
「人工呼吸器をつけても、ALS国際会議に参加するため、飛行機で海外に出向く人、いきいきと暮らしている人は、たくさんいます」(前出・小出喜一さん)
 介護体制さえしっかりしていれば、こういう患者はもっともっと増えてくるに違いありません。相模原のALS患者殺人事件が提起した本当の問題は、介護体制の貧弱さでした。そこを置き去りにしたまま、「死ぬ権利」の話が先走ってしまうのは本末転倒です。あくまでALS患者の実態に即したカタチで、「死ぬ権利」の議論を深めていくことが必要なようです。
「人工呼吸器をつけた人生もまんざら悪くない」
照川さんの言葉は、介護に当たっている家族への最高のプレゼントであるとともに、ALS患者の「死ぬ権利」を考える上で、忘れてはならない生の声だと思います。

» コラム一覧へ

リンクサイトマップ