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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2007年 8月号
医療紛争を解決するADR(裁判外紛争解決手続)の試行錯誤が始まっている

院内で紛争の調停に活躍するナースのメディエーター
 医療現場では毎日のように病院と患者の間でさまざまなもめ事が起きています。最近は裁判に発展してしまうケースも増えています。医療訴訟の件数は年々増加傾向にあり、平成8年度には全国で575件だったものが、平成16年には1110件までになっています。裁判は金もかかるし、時間もかかります。裁判によらないで紛争を解決できれば、お互いにとってメリットです。そういった解決法をADR(裁判外紛争解決手続き)といいますが、今、医療現場でそういった試行錯誤が始まっています。
 茨城県医師会では医療問題中立処理委員会を設置して、医療紛争の調停を行っています。この委員会は患者側と医療側、それに中立的な立場の医師・弁護士・学識経験者らが参加する病院外の第三者機関です。1年間で持ち込まれた案件は14件。合意に至ったのはそのうちわずか1件でしたが、打ち切りや取り下げになったものも6件ありました。数はまだ多くはありませんが、医療側と患者側が向き合って、直接話をすることから共通の認識ができるという大きなメリットがあるといいます。
 茨城のように院外で調停するのではなく、病院の内部でADRを実践している病院もあります。大阪府豊中市の市立豊中病院では医療安全管理室長の水摩明美さんがメディエーター(調停者)として、現場で処理しきれなかったトラブルの処理にあたっています。
「実際に裁判に付き合ったことがあるんです。終わった後に、向こうの弁護士とか家族の顔を見たら、何がどう解決したのかなと思ったことがあります。もっと、早くにきちんと話し合いができなかったんだろうかって」と、水摩さんは言います。
 裁判になると、対決姿勢が鮮明になってしまいます。裁判は勝つことが目的ですから、病院側も不利な情報はできるだけ出さないようにします。ミスも認めようとはしなくなります。そのために患者側の医療不信はますます高まり、しかも結局何があったのか、臨床経過の全体像もわからなくなってしまいます。肝心の再発防止にもうまくつながりません。感情的なしこりだけが残り、たとえ勝訴しても満足は得られないことが多いのです。

患者の声に真摯に耳を傾けることで信頼を勝ち取っていく
 豊中病院でもヒヤリとしたりハッとしたりする、いわゆるインシデントリポートが年間2400件といいますから、月平均200件にも達します。家族のクレームなどがあった場合、まず第一義的に対応するのは、実際に診療にかかわった現場の医療者です。そこで決着がつかなかった事例が水摩さんの元に持ち込まれ、院内ADRの対象となります。それでも解決できなかった場合、院外のADRに場を移すことになりますが、これはまだ構想段階で、実際には一度もそういうケースはないそうです。
 2年間でのクレームは53件、その半数の26件に院内ADRを行い、これまでに80%以上が和解しているといいます。院内ADRでは患者・家族側と医療者側が会議室で直接向き合うカタチになりますが、間に入って会を仕切っていくのが水摩さんの仕事です。
「最初はきちんと患者さんも話そうと思っていらっしゃるみたいですけれど、どうしても感情の方が先に出て、怒るわ、泣くわのシーンから入ることが多いですね」
 自分の大事な家族に重大な事態が起きているわけですから、感情的になるのはやむを得ません。その矛先はしばしば水摩さん自身にも向けられてくるそうです。
「(あんたは)どこに雇われているのかとか、どこから給料もらっているんですか? あんたはそれでも中立といえるんですかという風に問い詰められたこともあります」
 院内ADRで本当に中立性が保てるのかということは確かに議論のあるところではあります。しかし、水摩さんはこう言って相手を説得するのだといいます。
「私は確かに病院の人間です。でも、医者や病院の話も聞きますけど、同じように皆さんの話も聞きますからね」
 そしてあえて患者の前で医療者に厳しく問いただすのだそうです。一方的に病院側に立っている存在ではないことを印象づけ、真摯に患者の声に耳を傾けることで信頼を勝ち取っていくのです。
「患者さんが望んでいるのはまずは本当のことが知りたいということ。それから結果に対して先生が一言、すいませんと言ってほしいということ。そしてこれから二度と起こさないようにどうするのかを聞きたいということなんです」

3年間にわたる対立も誠実な対話で和解にこぎ着ける
 水摩さんは手術中のインシデントで相談を持ちかけてきた医師に、まずは謝ることを勧めていました。謝ることはミスを認めることになって、裁判になったら不利になるのではないか。一般的にはそう思われているのではないでしょうか。早稲田大学法務研究科教授の和田仁孝氏は言います。
「判例を調べてみたら、結局、謝罪した方が医療側には有利になっているんです。今はアメリカでも裁判官は謝罪があったからといって罪を認めたとは判断しません」
 謝ることによって、感情的な対立を和らげることができます。それが紛争解決には大きなチカラになるというのです。
 豊中病院で病院側と3年間にわたって対立を続けていたある男性がいました。妻が手術中の合併症により、重度の後遺症が残ったというのです。院内ADRによって水摩さんがその思いをしっかり受け止めたおかげで、和解することができました。彼は私たちのカメラの前でこんな風に語りました。
「問題が起きた時、医者からは僕らにわかるような噛み砕いた説明はありませんでした。だから、もめた後になってうまいこと言われても本当のことを言うてるんかいなという気持ちでした。でも、水摩さんが入ってきてくれてから変わりました。水摩さんは双方の話を聞いてくれました。医師にもこういったところが悪いですよと指摘してくださるんです。いろんな憤りも水摩さんと話しているうちに薄れ、許す気持ちになりました。水摩さんの努力に負けました」
 紛争解決のために最も大事なことは誠実な対話のようです。たとえ医療者への不信、激怒から始まっても、誠実な対話を重ねることによって、許しの気持ちにまでもってくることができるというのです。これこそコミュニケーションの達人であるべきナースに最もふさわしい仕事だといえるのではないでしょうか?

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