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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2007年12月号
医療事故の紛争解決モデルといわれる事例から学ぶ初期対応の大切さ

事故直後の説明で病院はミスを認め、異例の謝罪まで
 医療事故で1歳半の娘を亡くした被害者家族と、事故を起こした加害者側の病院の院長がスタジオで同席するなんて信じられないことです。しかし、それが実現したのです。両者が向き合って医療事故における紛争解決のあり方について冷静に前向きに語ってくれました。さすが医療紛争解決のモデルといわれる事例だと私も胸が熱くなる思いでした。ここまでくるのはもちろん簡単なことではありませんでした。どういう経緯でこういう関係を築いてこられたのか、私も興味津々で話を聞かせていただきました。  2000年4月に当時1歳半だった菅俣笑(え)美(み)ちゃんは、胃食道逆流症という難病で入院していました。口から栄養が取れないため、チューブを鼻から十二指腸まで通して栄養を摂取していました。本来はそのラインで内服薬を投与すべきところ、ナースが誤って点滴ルートに入れてしまいました。三方活栓のつなぎ方を間違えたために、口から飲む薬を点滴してしまったのです。笑美ちゃんの容体は急変、翌日、亡くなりました。
 事故が起きたのが朝の8時45分、院長への報告や家族への連絡が行われ、家族が病院に着いたのは11時でした。母親の文子さんは言います。
「一報を聞いた時、何を考えたか、よく思い出せないんです。ただ、病院に駆けつけた時、両手両足がダランとしていたので、最悪のことを考えざるを得なかったですね」
 両親は別室に通されて事故の経緯について説明されましたが、その時、同時にミスを認め、謝罪もされたといいます。最初の説明でいきなりミスを認め、謝罪するということは極めて異例のことです。時の病院長、谷野隆三郎氏は言います。
「明らかに100%、我々に瑕疵があったんです。隠そうなんて思いは全くなかったですね。別にそういう対処のマニュアルがあったわけではありませんが、みんなの気持ちは一致していましたね」
 しかし、文子さんは言います。
「今思えば、その時点で謝罪してもらったことはよかったと思っています。でも、その時は気もそぞろで、謝罪の言葉なんてなんとも思わなかったですね」

記者会見で父親は娘の死を無駄にせず再発防止を訴える
 実はこの病院の最初の対応がその後の流れに決定的な影響を与えることになりました。病院はその日のうちに副院長を長とする事故調査委員会を立ち上げました。
「現場が混乱していましたから、とにかく記録を残すことが必要だと思ったんです」
 谷野氏は言います。
 菅俣さん夫婦は11日後、記者会見を開きました。
「医療事故が注目されている時期でもあり、取材が殺到したんです。でも記者一人一人に対応していると、違う角度から見られてしまうこともあるかもしれないって思ったんです。今現在も入院している子供たちがいるということを頭に描きながら、お話ししました」
 それは子供を奪われたことに対して病院への怒りを込めた会見ではありませんでした。翌日の新聞の見出しは「娘の死、無駄にしないで〜父親が再発防止訴え」(神奈川新聞)となっていました。
「怒りは当然ありました。でも、病院に謝ってもらったこと自体、当時としてはあり得ないことだと分かったんですね。もし、それでも私たちが裁判を起こしたとしたら、病院としては謝罪なんかしても無駄だということになってしまう。そういうマイナスの前例にされるのが嫌でした。この子がなんで生まれてきたのか、その意味をつけてあげるのは自分たちしかいないんだと思ったんですね」
 ただ、父親のようには割り切れない文子さんの母親としての思いもあったようです。
「やっと授かった子供だったんです。障害を持って生まれてきたんですが、それを乗り越えて育てていっていた矢先のことだったんです。正直言って怒りの気持ちは今もあります。でも、それを誰に向けていけばいいのか……。子供を失うというのはきれいごとで済まされることではないんです。でも、笑美のためにも私たちは前向きに生きていかなければならないって、言い聞かせているんです」

事故から4年後、被害者の両親が病院職員を前に講演
 病院はその後、事故調査委員会と外部評価委員会の報告書をまとめました。そして医療安全対策マニュアルを細かく作成するとともに、三方活栓も間違ってつながらないようなものに替えるなど、再発防止策を徹底しました。また、事故のあった4月9日を中心に安全週間とし、再発防止への決意を明確にしました。そういう一連の病院側の対応を受けて、菅俣さんは病院側と1年後に和解をしたのです。
 しかも事故から4年後の4月9日当日、菅俣さん夫婦は病院に呼ばれ、職員800人の前で講演をしました。谷野氏は言います。
「当時、事故に関わった医師や看護師がちょうど定年を迎える時だったので、事故を風化させてはならないと思って、お願いしたんです。やはり被害者からの直接の声はインパクトがありました」
 文子さんは講演を引き受けた理由について次のように語ってくれました。
「未熟児で生まれた笑美にとってこの病院は生を受けた場所であり、1年半まで育ててもらった場所でもあり、そして死んだ場所でもあったんです。お世話になったみなさんにお礼のご挨拶をしたいと常々思っていましたので、いい機会だと思い、引き受けさせていただきました」
 自分の娘が殺された病院だと思っても不思議のない状況なのに、スタッフにお礼の挨拶がしたいという心境にまでなったというのは、驚きです。そして今、菅俣さん夫婦は医療事故オンブズマンとして、再発防止のために啓蒙活動を続けています。その中で医療に関するトラブルから法的行動を取った人へのアンケート調査を行ったところ、生々しい実態が浮き彫りになりました。
 事故自体より病院側のその後の対応が許せなかったと思う人が71.3%もいるのです。いかに笑美ちゃんが稀なケースだったかがよく分かります。裁判になって長い時間と労力と費用をかけても、なかなか満足いく結果にはつながるものではありません。事故が起きた直後の初期対応がいかに大切か、やはりこの笑美ちゃんの事例から学ぶべきものはたくさんあるといえそうです。

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