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コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2008年 9月号
警察発表に頼った報道のあり方に警鐘を鳴らした“つめはがし事件”

看護師による虐待とセンセーショナルにメディアが伝える
「看護師つめはがし事件」という毒々しい言葉の響きはまだ記憶に新しいところです。「業務上のストレスが原因で、認知症の高齢者のつめをはがした虐待看護師」。刺激的な言葉にメディアは飛びつきがちです。しかもその看護師が警察に逮捕されたとなると、メディア報道に歯止めをかけることはできません。しかし、実は虐待ではなく、看護師のケアの一環だったという話が後から出てきました。なぜにこういうことになったのか、その背景を探りました。
 2007年6月、北九州八幡東病院は突然記者会見を開き、院内で「認知症高齢者のつめをはがす虐待」があったと明らかにしました。病院が自ら情報を明らかにするというのは珍しいことだっただけに、その段階でメディアが疑義を挟む余地は全くありませんでした。マスコミがいっせいにセンセーショナルに伝えたのは当然のことでした。それから警察も捜査に入り、1週間後には看護課長だった上田里美被告を傷害容疑で逮捕しました。
 その後、北九州市の高齢者介護の質の向上委員会の「尊厳擁護専門委員会」が虐待を認定したことから、上田被告は起訴されました。伊藤直子副委員長は言います。
「虐待が行われたという(病院による)記者発表が先にありまして、さまざまな事実を合わせた結果、(その事実を)確認したということです。警察に逮捕されるという状況がありましたので、ご本人から直接お話を聞く機会はありませんでした」
 この委員会は患者側の利益を守ろうという意向が強かったためでしょうか、看護師の話も聞かないままに、病院と警察の意向をそのまま鵜呑みにして、結論を出してしまったようです。その判断の根拠として伊藤氏は次のような点を挙げました。
「そのケアについて、医師の指示がないこと。フットケアを数人の方にやってらっしゃるわけですが、途中でケアの必要がないと看護の上司から止められたにもかかわらず、それが続けられたということ。ご自身の意思表示が非常にできにくい患者さんであったこと。そのケアの内容について、その必要性も含め、記録がないこと……などですね」

写真ではつめの下に小さなつめが生え…これはフットケア
 日本赤十字看護大学の川嶋みどり看護学部長は、このニュースに接したときのことを次のように語りました。
「以前に京都で虐待したというニュースがあったので、ああ、またやったかと思いました。ただ、その後、その患者さんの足のつめの写真を見たんです。直感的に思いましたね、これは虐待ではないって。つめを強引に剥がしたのなら、血だらけになってたいへんです。ところが下から小さなつめが生えていたんですよ。老人のつめをそのままにしているとタオルケットなどに引っ掛かって危ないんです。この方の場合はきちんとフットケアが行われていたんじゃないかと思ったんですけど、看護師はすでに逮捕されていましたからね。これはおかしいなと思いましたよ」
 高齢者のつめは白鮮菌に感染しやすくなり、人によってはちょっとした刺激で剥がれ落ちてしまうのだそうです。また、歩く機会が少なくなってくると巻きづめになって肉に食い込んできたりもするそうです。そうなると炎症を起こす可能性もあるので、看護師はいわゆるフットケアをきめ細かくやっていく必要があります。よほど難しい例以外は、通常は看護師の判断で行うものだといいます。
 その当事者の上田被告が私たちのカメラの前で真相を語ってくれました。彼女が新しい病棟に異動した直後にこの事件は起きたのでした。
「(こちらの病棟では)ほとんどの方がある程度、つめが伸びている、あるいは危険な状態にあるんじゃないかなというふうに考えました。どうしてもそういう患者さんの状態を見たときには、やはり放っておけないというのが正直なところありましたので、必要だったから私はつめ切りという援助をしました」
彼女の行為は内部告発によって明るみに出ましたが、それは同僚の看護師たちによるものでした。
 上田被告は言います。
「今まで自分たちがこれでいいんだという形で病棟を運営してきたんだと思うんですね。それをポッと来た一人に否定されたんですから、反感は買うと思いますよ」

「なんとかしたい」がなぜ「ストレスが原因」という表現になる?
 彼女の話を聞くかぎり、丁寧にフットケアを実践していた熱心な看護師という印象であって、とても虐待をしていたとは思えません。
 それが記事には「(つめはがしは)業務上のストレスが原因のひとつだったかもしれない」と彼女自身が警察の取り調べで語っているという記事になっていたのはどういうことでしょうか。
「私はそんなことは全く言っておりません。危険なつめを見ると、なんとかしてあげたいという気持ちがおこったことは間違いではありません。どうしてそれがそういう表現になるんでしょうか? なんらかの情報を記者さんも集められたからなんでしょうね」
 取り調べの中での会話は捜査員によるリークでしょうが、捜査にもある種の思い込みがあったのかもしれません。川嶋さんは言います。
「フットケアのつめ切りは神経を使いますからね、ストレスがあったらできませんよ」
 上田被告は言います。
「刑事さんからは(患者さんの)家族の方が非常に怒っているんだという話がありました。だったらもう自分が刑務所に行かなくては納得してくれないだろうとは思いました」
 日本看護協会の楠本万里子常任理事は言います。
「9月に『虐待ではなかった』という検察側の発表があったんですが、それを報道したのは地方版の一紙だけでした。マスコミはきちんと続報も正確に伝えていただかなければいけないと思いますよ」
 衝撃的なニュースには飛びつくが、それが事実と違ったことが分かった後は興味を示さないというのは、確かにメディアとして大いに反省すべきことだと思います。
 上田被告は言います。
「一番心配していたのは子供のいじめの問題だったんですが、学校を休むことなく行ってくれてましてね。子供たちと周りの家族には感謝しています」
これは冤罪の可能性さえありそうですが、警察発表に頼る報道のあり方に警鐘を鳴らす“事件”だったといえそうです。

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