HOME > これまでの著書・コラム > NURSE SENKA

これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2008年10月号
看護師、救急救命士などが専門教育を受けて取得できる「麻酔専門師」資格の創設を

歯科医の麻酔研修中、手術患者に異変が生じその後に死亡した事故
 2006年10月、東京の三井記念病院で歯科医が麻酔研修中に起こした患者死亡事故の報道は、知られざる医療現場の実態を明らかにしました。そもそも歯科医が手術室で麻酔をかけているという事実を、この報道によって初めて知ったという人はたくさんいたのではないでしょうか?
 もちろん、歯科医が医科麻酔を日常の業務として行うことは医師法違反になりますから、許されていません。あくまで指導医の監督の下で、研修というカタチでのみ行うことが可能です。しかし、実態は麻酔科医不足を補うためにスタッフの一員として働いていたケースもたくさんあったようです。
 指導医の監督という概念も明確ではありません。1対1でつきっきりで面倒を見るのなら、問題はないでしょうが、今の手術室にはそれだけの余裕はありません。帝京大学医学部麻酔科学講座の中田善規教授は言います。
「麻酔は外科医がやっていた時代もありました。それがここ10年、20年、人口が高齢化するのに伴い、合併症のあるハイリスクの患者の手術も増えて、外科医が片手間ではできないということになってきました。そこで、どんどん麻酔業務が麻酔科医の方にきたために、麻酔科医不足というものが最近、喧伝されるようになったと私は理解しています」
 三井記念病院の事故においても、指導医は同時に複数の手術を掛け持ちしていました。事故はたまたま指導医が別の手術の抜管に立ち会うために、いったんその手術室を離れていた間に起きました。異変が生じたとの緊急連絡を受けて、ただちに戻り、処置を行いましたが、結局、患者には重い障害が残り、2カ月後に亡くなりました。
 この事故を重く見た東京都は病院に立ち入り調査を行いました。病院側も調査の上、改善報告書を提出しましたが、この時以降、歯科医の麻酔研修の受け入れを中止しています。

麻酔科医不足から実質的に歯科研修医が麻酔業務を担う面も
 日本歯科麻酔学会の認定医、専門医は合わせて1200人弱ですが、その資格を取得するために全身麻酔を200症例以上、経験することが必要です。ただ、歯科現場だけではそれだけの症例を確保することはできないので、医科が研修を受け入れてきました。
 研修を行う上では、ある一定のルールが設けられています。2002年に定められたガイドラインでは、歯科医が研修目的で参加することを患者に対して「原則として同意を得る」ことが求められていました。しかし、三井記念病院のケースでは麻酔担当者として自己紹介しましたが、その際、「歯科医であることを説明していなかった」とスタッフは証言しています。ただ、それがガイドラインの著しい違反になるとも言えないようです。
 病院の入り口に歯科医や救急救命士の研修が行われていることが掲示されていることによって、「原則として同意」を得たことにしている施設が多いというのが実態です。日本麻酔科学会の増田純一常務理事は言います。
「私たちは同意を得にいく立場ですが、ほとんど断られることはありません。合併症の難しい患者や心配性の若い女性などにはもともと研修しないようにしていますから、問題になることはないです」
 しかし、三井記念病院での事故以降、2008年にはガイドラインが改訂され、患者に対しては「文書で同意を得る」ことが必要となりました。あいまいなカタチで行われていた研修を、より明確化することは決して悪いことではありませんが、それが問題の本質的な改善につながるのでしょうか? そもそも、歯科研修医が実質的に麻酔業務を担わなければならなくなっていたのには、先にも触れたように、麻酔科医の不足という問題があったからです。
 日本麻酔科学会のアンケートによりますと、大学病院で必要とされる麻酔科医の平均が15.7人なのに対して、実際は10.1人しかおらず、5.6人も不足しています。一般病院においても3.9人必要なのに2.6人しかおらず、1.3人不足しています。麻酔科医の数自体は増えていますが、需要の増大についていけていないのです。

衝撃の報道にとどめず問題を解決するために議論を惹起する必要が
 一方、歯科医は余っています。厚生労働省のデータによれば、人口10万人あたり必要とされる歯科医は50人であるのに対し、2004年では74.6人と24.6人も過剰になっています。都市部では患者争奪の激しい生き残り合戦が行われ、経営難に陥る歯科医も少なくありません。
 そこで歯科医を医科麻酔の現場でうまく活用することは、一石二鳥の解決策になるのではないでしょうか? 歯科医の中でも歯科麻酔医として認定されている人は、歯科医療における全身麻酔をすることができるのですから、彼らの力を有効に活用することができないはずがありません。増田氏は個人的見解として大胆な改革案を提示しました。
「歯科医が何らかの条件をクリアした上で、医師国家試験を受けられるようにすればいいのではないでしょうか」
 これは麻酔科医の不足だけではなく、今、深刻化している医師不足を補うためにも役立つ素晴らしい提案ではないでしょうか。当然のごとく、医師側の激しい抵抗は予想されるでしょう。日本歯科麻酔学会の住友雅人理事長もそういう抵抗を予想した上で次のように言います。
「歯科医の側から医師への道を開いてくれと言うのはできるものではありません。国民の側からそういう声が出てくれば別ですけどね。歯科医になった人は歯科医療が好きだからという人がほとんどで、自分から医師になりたいとは思わないでしょう。でもちゃんとそういう道があれば考える人も出てくるでしょうね」
 私からは「麻酔専門師」という資格を作ることを提案しました。アメリカでは麻酔専門看護師が麻酔科医と一緒になって、手術室での麻酔業務に携わっています。それと同じように、歯科医、看護師、救急救命士などが、ある一定の専門教育を受けた上で、取得できる資格にすればいいのです。今は研修という名目の麻酔を、より明確なカタチでの分業体制にしていくことが重要だと私は思います。
 いずれにせよ、歯科医の麻酔研修中の事故報道は、衝撃の第一報で終わるべきではありません。こういうカタチで、そこに見えた問題を解決していくために新たな議論を惹起していくべきなのではないでしょうか。

» コラム一覧へ

リンクサイトマップ