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コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2008年12月号
違法報道がきっかけとなり救急救命士の気管挿管が認められた事例を検証する

救急救命士が認められていない気管挿管を行う
 救急救命士に認められていなかった気管挿管を秋田県の消防が組織ぐるみで行っていたというニュースは、大きな衝撃をもって受け止められました。発覚したのは2001年、救急救命士制度ができてちょうど10年目のことでした。NHKのニュースが伝えたことがきっかけとなり、新聞各紙も大きく取り上げることとなりました。公的機関である消防の組織ぐるみの違法行為が発覚したのですから、大きなニュースになったのは当然です。ところが結果的には、この大騒動がきっかけとなって救急救命士に気管挿管が認められることになったのです。
 そもそも救急救命士に認められた特定行為は、点滴、除細動、器具を使った気道確保の3つでした。モデルとされたアメリカのパラメディックは気管挿管が認められていましたが、麻酔科医たちの猛反対により日本では認められませんでした。そこで、ラリンゲアルマスク、食道閉鎖式エアウェイ、コンビチューブなどの器具を使って気道確保をするというのが、救急救命士たちの業務とされてきたのです。
 しかし、秋田県の救急救命士は当初から気管挿管を行っていました。それは救急救命士の育成にあたっていた秋田大学麻酔科の助教授の指導によるものでした。「気管挿管でなければ救命効果は上がらない。いずれ許可されるのだから早く始めておこう」ということで指導が始まったのでした。人の命を救いたいという思いから、医師と消防が一体となって研鑽を積んでいったのです。
 通常、救急救命士は病院に患者を運んだら、そのまま引き揚げます。ところが、その助教授は救急救命士を病院の中にまで入れて、その後の患者の容体についても学ばせました。症例検討会も一緒になって行い、医師と救急隊がいわゆる顔の見える関係をつくっていきました。一般市民の心肺蘇生法の普及もお互いの連携により進んでいました。その効果があってか、秋田県の救命率は全国平均を大きく上回っていたのです。

制度がおかしいとあえて「救われる命」と擁護した新聞記事
 事態発覚後、秋田の調査に入った帝京平成大学の小林國男教授は「当時の秋田では理想的なメディカルコントロール(救急医療の質を担保するシステム)ができていました」と証言しています。
「熱心な先生が熱心な救急救命士に気管挿管に限らず、いろいろなことを教えていました。それにより地域の救命医療のレベルも高く保たれていて、私は感心しました。とはいっても、違法であることはやはり多くの問題があったと思います。救命率のデータを発表していましたが、だんだん競争のようになってきて、前の年より下げるわけにはいかなくなって、データの改ざんという負の側面もありました。功罪相半ばといったところではなかったでしょうか」
 当時、朝日新聞秋田支局で勤務していた入社2年目の杉山正氏は言います。
「事態が明らかになってからの消防本部は、この件についてはいっさい取材を受けないという頑な態度でした。救急救命士の子供たちは学校でおまえのお父さんは悪いことしたんだといじめられていました。消防をたたく報道が相次ぐ中で、私はバッシングするだけなら制度は後退するだけじゃないかと思い、あえて『違法覚悟、救われる命』と、救急救命士を擁護するような記事を書きました。社内でも違法行為をやすやすと擁護するのはいかがなものかという議論がありましたが、専門家の意見なども幅広く聞いた結果、制度がおかしいという結論になりました。
 厚生労働省からは『農民一揆』と言われ、孤立無援でしたが、間違ってなかったと思っています」
 1996年から6年間にわたって、14の消防本部で心肺停止患者2007人のうち、8割の1592人に気管挿管を行っていたことが明らかになりました。しかし、事実が明るみに出て以降、消防本部は気管挿管用の器具を回収し、マスクやチューブによる気道確保に切り替えました。これまで磨き上げてきた気管挿管の技術を急に活かせなくなったことで、救急救命士たちは悔しい思いをしたようです。
 引き継いだ医師が気管挿管をできずに目の前で失敗を繰り返し、患者の喉の中が血だらけになっていくのを黙って見ているしかできなかったと、私に涙ながらに訴えてきた救急救命士もいました。杉山氏も救急の処置録の中に「コンビチューブを使って処置したが、私は気管挿管がベストであったと考える」という一文を見て、彼らの無念さを感じたといいます。そして杉山氏は「救急救命士、気管挿管していたら3人救命の可能性高く」という記事を書きました。
「この記事は医学界からたたかれましたね。記事のあそこが違うとかここの事実が間違っているとか、ミクロな問題であら探しされました。そして、救急救命士の応急処置範囲の問題が論じられる臨床救急医学会を取材しようとしたら、中に入ることすら認められませんでした」

世論の後押しもあり条件付きながら気管挿管が可能に
 しかし、世論は秋田の救急救命士に同情的でした。国も検討会を立ち上げ、気管挿管を認めるかどうかの議論を始めました。先の臨床救急医学会はそのヤマ場に開かれたものでした。その中では「気管挿管には救命率向上のエビデンスがない」という否定的な議論が主流でした。私自身も会場から、「エビデンスがないなら医師も行うべきではない。救急救命士だけの気管挿管を取り出して、エビデンスのありなしを論じるのはおかしい」と発言したことをよく覚えています。
 医師側は決して前向きではありませんでしたが、世論に押される形でついに2004年、「全身麻酔の臨床30例以上の成功」という条件付きながら、救急救命士に気管挿管を認めることになりました。小林教授も感慨深げに言います。
「秋田の問題があってから気管挿管が認められるようになるまでは比較的短期間でしたね。必要があれば変えていく力が日本にもあるんだということが証明された事例ではなかったでしょうか」
 医療報道を検証する上でこのケースは少し複雑です。報道がきっかけとなって流れは逆流するのかと思いきや、最終的には流れを加速することになったのです。結果だけを見ると、秋田消防が時代の扉を開いたということになると思うのですが、未だに彼らは固く口を閉ざしたままです。「違法は違法」と言われた後遺症はまだまだ残っているようです。

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