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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2010年 2月号
インドネシアからのナースの受け入れ問題に日本政府はどう対応するのか

EPAに基づいて来日したナースたちは日本語ができなかった
私は9月にフジテレビを退社し、フリーのジャーナリストになりましたが、同時にこれまで客員教授をしていた国際医療福祉大学の大学院教授に就任しました。また、同じグループの医療福祉チャンネル774(スカパー)を放送している医療福祉総合研究所の副社長も兼ねることとなりました。大学院の講義と番組の連動をこれまで以上にいろいろなカタチで進めていきたいと考えています。
さて、今回の「黒岩祐治のメディカルリポート」はその一環で、企画・取材は大学院生の神保康子さんでした。彼女はこの番組と制作過程そのものを修士論文としてまとめることとなっています。
テーマは「外国人ナースの受け入れ問題」。2008年8月に来日したインドネシア人ナースを彼女が1年間にわたって取材したVTRを元に、スタジオで討論を行いました。 インドネシアのナースは日本とインドネシアの二国間の経済連携協定(EPA)に基づいて来日しました。看護師候補者と介護福祉士候補者合わせて200人余りで、インドネシアが日本車などの輸入関税をゼロにする代わりに、日本は彼らを受け入れたのです。
成田空港に到着した彼らは多くの報道陣のカメラに驚いた様子でしたが、期待に胸ふくらませていました。神保さんが取材したのは、東京の永生病院に行ったデウィさんとイルファンさんの2人でした。到着した彼らに片っ端からマイクを向けてインタビューした神保さんは、たまたまデウィさんを見つけ出すことに成功していました。「エイセイビョウイン」と言うのが精いっぱいで、その時のデウィさんは日本語が全くできませんでした。
彼らは全員、インドネシアでナース養成機関を卒業して資格を取得し、2年以上の実務経験を持っていました。しかし、日本ではそのまま働くわけにはいかず、日本の看護師国家資格を取ることが求められていました。来日して6カ月間は日本語研修を受け、その後は施設で働きながら勉強をし、3年以内に国家試験に合格しなければなりません。日本人でさえ難しい専門用語を漢字で読んで答えを出すというのは、並大抵のことではありません。

日本で働くからには日本の法律に則って国家資格取得が条件
せめて試験問題の漢字にはルビを振ってあげるとか、少しくらい便宜を図ってあげてもいいのではないかという声もありました。神保さんは言います。
「彼らに何が大変かと聞くとみんな漢字って言うんですね」
しかし、日本看護協会常任理事の小川忍氏は言います。
「考えてみてください。右と左を間違えたら大変でしょう。サクシンとサクシゾンを間違えても大変です。日本語能力は看護の大前提です。国家試験の時だけ漢字にルビを振るということを国民はどう考えるでしょうか。看護の現場ですべての漢字にルビを振ることなんてあり得ませんからね」
受け入れ先の永生病院の宮澤美代子氏も言います。
「言葉ができないと事故につながりやすいですからね。看護というのは人のいのちを預かる仕事だということからすれば、日本に来たからには日本の法律に則って資格を取っていただくしかないでしょうね」
そもそも日本看護協会は彼らを受け入れること自体に反対していました。外国人ナースが低い給与で雇用されるようになると、日本人ナースが仕事を失うことになると恐れたからです。二国間の経済協定だからやむを得ないと受け入れそのものは容認しましたが、同時に高いハードルを作ったのです。小川氏は言います。
「日本看護協会だけでなく、アジアの看護協会も同じ対応です。外国人ナース導入派も日本の国家資格を取得することが条件だとする点では一致しています。ベトナムや中国から来ているナースもいるんですが、彼らは日本の看護学校に入って、国家資格を取っています」

あと2年で合格できるのか、その間のスキル低下も心配
来日して最初の国家試験の合格者はゼロでした。あと2年で合格できなければ帰国しなければなりません。ただ、問題は言葉だけではありませんでした。彼らは病院で看護助手として働いています。オムツ交換やベッド周りの清掃などで、ナースの資格を活かした仕事はできません。しかも、もともとインドネシアでは、入院患者の身の回りの世話は付き添っている家族が行うことが普通であって、オムツ交換はナースの仕事ではありません。それだけに余計に抵抗感は強かったようです。
イルファンさんは言います。
「私、看護師です。もうちょっと私……、経験がやりたいですね」
日本でキャリアアップができると思って来日を決めただけに、現実とのギャップにいらだちさえ覚えているようでした。
模擬試験の会場に来た彼らに集まってもらって、生の声を聞きました。普段はそれぞれの病院にバラバラになっているため、一同に集まる機会は滅多にないので、1年を過ぎた彼らの本音を聞き出すいい機会となりました。
「来る前には日本はとてもすごい国だと思いました。それから医療の方法も、インドネシアと比べて日本の方が上だと思っていました。日本の看護師さんの仕事を見て、たぶん、インドネシアの看護師さんも同じ仕事だと思います。もっとアップではなくて、同じくらいかなと思います」
「一番つらいことは、ゴミを集めて、それから分けて、掃除して、あれはやると厳しい。看護師の仕事ではなくて、それは一番難しいところ。時々、私は仕事をやりながら、心はよくないです。どうして私たちはまだ日本の資格を持っていないですが、少しでも看護師の仕事をできませんか?」
たどたどしいながらも、1年でここまで日本語が話せるようになったことだけでも、驚きです。しかし、あと2年で国家試験に合格するレベルにまで達することができるのかどうか、ほとんどの人は自信がないと話していました。それよりも日本にいる間に自分たちの看護のスキルが落ちてしまうことを心配していました。
外国人労働者を積極的に受け入れていこうという国家戦略も明確でない中、中途半端なカタチで来日した彼らは犠牲者なのかもしれません。少なくとも反日感情を持って帰国しないようにするために、日本政府としても滞在期間の延長も含め、検討する必要があるように思いました。

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