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これまでの著書・コラム

コラム — NURSE SENKA

「NURSE SENKA」2010年 4月号
患者が病理医の判断を求めることが当たり前になるように

病理外来で病理医からがん細胞の病理標本の説明を受ける患者さん
前に病理医不足の問題を取り上げました。がんの手術などは病理医との連携がなければ、的確な手術は難しいといいます。それほど重要な仕事であるにもかかわらず、医療関係者の間ですらあまり認知がされておらず、病理医を育てる教育も不十分だということでした。
そんな病理医の世界に今、大きな変化が起きつつあります。これまで検査室の中で顕微鏡を覗くばかりだった病理医たちが患者の前に出てきたのです。「病理外来」という新しい分野です。
これまで病理医は患者を直接診断するわけではありませんでしたから、診療報酬で診察料を認められていませんでした。ところが2008年4月、「病理診断科」としての標榜を認められることになったのです。これにより、病理医は病院で病理外来を担当することも、開業することもできるようになりました。
日本医科大学付属病院病理部の土屋眞一教授は言います。
「これまで我々は臨床医に会うことはあっても、患者さんに直かに接することはほとんどなかったですね。病理医は変人も多かったですからね(笑)」
土屋氏の診察の様子を取材しました。患者は自分の細胞を取り出して作ったプレパラートの標本を持って病理外来を訪れます。土屋氏はそれをスクリーンいっぱいに映しだし、解説を始めました。
「見えますか? このツブツブ。これががん細胞の塊で、一つ一つお部屋に入っているんです。これ、乳頭腺管がんという普通のがんですね」
レントゲンやCTの写真を前にして医師から検査結果を説明されることは普通のことです。しかし、大写しにされた自分の病理標本の画像を見ながら説明を受けている様は、私も見たことのない光景でした。土屋氏は言います。
「がんにもいろいろ種類があって、乳がんでも19種類あるんですよ。それを患者さんに分かりやすく説明してあげると、患者さんも自ら治療に専念することに役立つのではないかと思うんです」
説明を受けていた患者さんもインタビューに答えてくれました。
「これまで病名だけで納得していたところがあったんですが、自分のがん細胞をちゃんと目で見て、確認できたので、前向きに頑張っていこうかなと思えるようになりました。普段は外科の先生とお目にかかっていたので、縁の下の力持ちっていうか、見えないところで支えてくださっている先生の存在を知られてよかったです」

病理専門クリニックは病院でないため診断行為の報酬はゼロ
病理外来では他の病院で検査された標本を持ちこむことも多いわけですから、違った処置がなされていると感じることもあるのではないでしょうか? 富山大学附属病院の外科病理学の福岡順也教授に聞いてみました。
「実際にそんなに多いわけではありませんが、もう少し早く来たら、もう少し、別の治療ができたかもしれないと思うことはありますね」
土屋氏は言います。
「病理はある程度、慣れないと誤診してしまう可能性はあります。中には良性なのか、悪性なのか、境い目のようなのもあって、専門家同士で討論しなければならないこともあるんです」
病理医の専門的な視点が的確な医療のためにどれほど重要かが伝わってきます。
ところで、病理専門にクリニックを開業した長崎病理診断科も取材しました。ただそこには患者の姿はなく、病院や検査センターから委託を受け、病理診断を行っているだけでした。病理医が診断料を取れるようになったものの、それは「病院でなければならない」という制限がつけられていたからです。岸川正大院長は言います。
「アメリカに行っている時、臨床と病理医が一体となって働いている様を見て、これが本来のあるべき姿だなと思いました。日本の患者さんもあんな風に病理医の意見を聞けるようになればいいですよね。でも、今は開業している我々病理医の診断行為に関しての報酬は全くのゼロ。ただ働きなんです」
現在、クリニックは診断の際に作る標本の作製料などの儲けで運営しているそうです。岸川院長は続けます。
「今まで病理医は水面下の仕事で3K、汚い、キツイ、危険、それに加えて貧乏で希望も持てないといった状況でした。しかし、開業してもやっていけるとなると、若い人もやってみようかということになるでしょう。少しずつでも輪を拡げていくためにも、時間はかかるけれど、我々がやっていかないと後輩は育ってきませんからね」

ベンチャーを立ち上げその利益で病理医を育成する新しい試み
福岡氏は病理医育成のために富山大学附属病院で遠隔カンファレンスという新たな試みを始めています。学生の集まるラウンジの一角にモニターを設置し、病理診断の映像をライブで流し、学生たちは病理研究室に来なくても、カンファレンスに参加できるようにしました。福岡氏は言います。
「休憩所にいても、ヘッドフォンをつけると誰でも議論に参加することができます。学生にまずは病理に興味を持ってもらうためのひとつの宣伝なんですね」
さらに、福岡氏は自ら取締役を務めるパソロジー研究所という大学発のベンチャーも立ち上げました。病理診断に必要な検査用具の開発などに取り組み、商品として生産し、販売を行っています。この企業で得た利益を病理医育成のために使用し、そこで育った病理医が再び研究や開発などに従事し、利益を得ながら優秀な病理医も育てていくというシステムを作ろうとしているのです。福岡氏は言います。
「病理は特殊なエリアでいろいろなアイデアが出てきますが、その中でビジネスに使えるものもいくつかあるんです。それで取った特許で商品を作ることはできないかと考えました。とにかく何かをしなければいけないと強く感じるんです。人を教育するにはどうしても支えるスタッフが必要ですし、外部からの安定的資金もいりますからね」
病理専門医が全国でわずか2000人しかいないという現状を変えるため、意欲あふれる医師たちはすでに動き始めています。ただ、やはり患者が病理医の存在を正しく理解し、その判断を求めることが日常的になっていかないと大きな変化は望むべくもないでしょう。その入り口として、まずは病理医のいない病院でのがん手術がいかに危なっかしいものかをより多くの人に知らしめるところから始めるべきではないでしょうか。

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