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コラム — ぺるそーな

「ぺるそーな」2004年 8月号

 参議院選挙は民主党が躍進し、小泉自民党にとっては厳しい結果となりました。私が担当した選挙特番の中で、自民党の若手代議士が敗因について、「メディアが我々のやっていることをきちんと報道しないからだ」と発言しました。

 メディアのせいにしたくなるという心情は理解できるし、またそういう側面がないわけではないとは思うのですが、私自身が「そうですね」と言うわけにもいかず、すかさず、「メディアのせいにするなんて末期症状だ」と大きな声をあげていました。

 かつて永田町では変人扱いされ、誰も総理になるなんて思いもしなかった小泉純一郎さんが、長期政権を狙う大物総理にまでなったことも、逆に「メディアのせい」と言われても仕方ないことだと私は思っています。それは私たちが仕掛けたことでも、意図したことでもありません。メディア、特にテレビに対する彼の天才的なセンスが、視聴者、つまり有権者のハートを射止めたからでした。

「痛みに耐えてよくがんばった。感動した。おめでとう!」
 貴乃花への賜杯授与の瞬間に発したあの歴史的とも言えるアドリブは私たちの記憶にまだ新しいところです。神聖なる土俵の上で、総理大臣が優勝横綱に向かってアドリブを発するなどという発想そのものが、他の政治家には絶対にありえないことでした。

 しかも、「痛みに耐えて」という言葉は、「構造改革なくして景気回復なし」と繰り返す総理の主張を連想させるものでもあり、自らの政治的プロパガンダにちゃっかり利用していたとも言えます。大相撲千秋楽、しかも鬼気迫る貴乃花の一世一代の名勝負、その直後、テレビ生中継で最も視聴率の高い瞬間、国民みんなが感動に酔いしれている最高のステージに便乗したわけです。
 しかし、そんなちゃっかりぶりをおかしいと感じた国民はほとんどいませんでした。それよりも常識や慣習は無視して、自分の思いをあくまで自分の言葉で語る清新なイメージが強く印象付けられたのです。彼自身もおそらくメディアを利用してやろうなどと意図していたわけではないと思います。

 私が小泉総理を天才だと思うのは、その点です。直感的に、反射的に動くことがまさにテレビの感性にフィットしているのであって、結果的に見事にテレビを利用しているのです。
 昨年の衆議院議員選挙の際にも私は彼の天才ぶりをまざまざと見せ付けられました。「報道2001」の各党党首討論の後、小泉総理に一人残ってもらい、インタビューした時のことです。通常は選挙戦のさなかに、総理だけを特別扱いすることはできません。しかし、その時は中曽根元総理のインタビューに対して、リアクションをもらおうという企画でしたので、いつもと様相が違いました。引退に追い込まれたことで、憤懣やるかたない中曽根元総理の怒りの声がVTRで流れ、それを聞いたうえで小泉総理がリアクションをするというのですから、他党の党首もこれは面白そうだと“快諾”してくれたのです。
 小泉総理の前のテーブルの上に小さなモニターテレビがあり、そこに事前に収録した中曽根元総理のインタビューが流れ始めました。

「小泉君は鉛筆の芯みたいなもので、心というものがない。瞬間タッチ断言型で、歴史観も哲学も思想もなにもない」

 中曽根元総理の小泉批判はこみ上げてくる怒りを必死で抑えながらのようではありましたが、その内容は痛烈なものでした。テレビ画面には、インタビューに答える中曽根元総理の顔がいっぱいに映し出され、それを今スタジオで聞いている小泉総理の顔が画面の左下に合成されていました。ワイプというテレビの手法です。

 通常では、小泉総理の顔は下向きになります。目の前のモニターを見ているわけですから、それが自然なのです。すると、画面に向かってまっすぐ視線を送ってきて話す中曽根元総理の言葉を、小泉総理がうつむき加減で聞くという画になるはずでした。私たちはただ単に批判を聞いている小泉総理の表情を映し出したかっただけであり、顔が下向きかどうかは全く意識もしていませんでした。

 ところが、そのテレビ画面を見た瞬間、小泉総理は予想もしない行動に出ました。なんと、モニター画面を見るのをやめて顔を上げたのです。中空に視線を送ったままで、VTRの音声のみを聞き始めたのです。つまり、スタジオの私の右隣に座っている小泉総理はVTRの中曽根元総理を見ていない状態になったのです。無視を決め込んだのかと思いきや、モニターを見て私は驚きました。そこには、怒りをぶつける大先輩と、その言葉を胸を張って顔を正面に上げ、堂々と受け止めている真摯な政治家の姿が映し出されていたのです。

 うつむいて聞いている顔が映っていると、叱られているというような印象になります。それを瞬時に判断して行動に移したのですから、やはり天才としか言いようがないと思いました。よく飯島秘書官のメディア対策がうまいと言われますが、小泉総理自身のパワーとセンスがあったればこそではないでしょうか。
ところが今回の参議院選挙では様子が違いました。年金問題、自衛隊の多国籍軍参加問題などで、野党党首から攻め込まれた小泉総理はCMの最中に、私に向かって彼らしからぬ言葉を口にしたのです。

「だいたいあなたたちマスコミがそもそも反自民なんだから」
 私はその言葉が誰あろう、小泉総理の口から出てきたことに違和感を覚えました。前回の参議院選挙のまさに人気絶頂の時に、得意満面に発した彼の言葉を思い出したからです。

「小泉を推す声は反自民の声なんだよ」
 要するに、小泉総理自らがすっかり自民党的な政治家に変わったということを認めたということなんでしょうか。いやそうではなくて、もともとはとっても自民党的な政治家だったのだけれど、たまたま時代の流れの中でそうでないように見えていただけという声もあります。それならば、国民が錯覚していただけであって、やっと本当の姿が見えるようになったということなのかも知れません。

 これまではワンフレーズポリテックスなどと言われ、永田町用語ではなく、短い独特の言葉で端的に表現する手法が小泉総理の「売り」でした。しかし、今回は年金問題についての「人生いろいろ」などという表現が、不真面目な印象を与えてしまいました。これまでなら、小泉流ということで笑ってすまされたような言葉に、もはや神通力がなくなってしまったということなんでしょうか。

 テレビの天才としてのスーパーマジックパワーを失いつつある小泉総理は、これからどうやってさまざまな難局を乗り越え、改革を推し進めていくんでしょうか。このあたりで思い切ったイメージチェンジを図るというのも一計かもしれません。そういう発想そのものがテレビ的ではありますが・・・。

 ただ、今現在のイメージがどうであれ、着実に改革の実を上げ、日本社会の旧弊を一掃し、後世の歴史家から違ったイメージで評価される総理を目指していただきたいと願うのは私ばかりではないでしょう。

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