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コラム — ぺるそーな

「ぺるそーな」2004年 9月号

「先週の番組で、あなたが川口(外相)に『大臣は怒ってないでしょ?』って聞いてたけど、彼女はなんて言ってたの?」
石原都知事は私にそう問いかけました。
「キョトンとしてましたね」

 私はそうとしか答えられませんでした。具体的になんと答えられたのか、私の記憶に残っておらず、大臣のその瞬間の驚いたような表情だけが鮮明に脳裏に焼きついていたからです。

 サッカーアジアカップで日本選手団に浴びせかけられた中国人のブーイングの嵐は、私たち日本人に中国人の現実を教えてくれました。今から8年前、「ノーと言える中国」という本が中国でベストセラーになったことがありました。「日本を叩け、必要とあらば力をこめて叩くことが大切だ」「(日本は)国権を失った国家である」「アメリカの後をついていくだけの国が常任理事国になるくらいなら、いっそアメリカに二つ議席を与えたほうがいい」中国人の日本人に対する憎悪の感情が綴られた衝撃的な内容でした。

 その時でさえ、私たちは中国政府の差し金で作られた本ではないか、一部の過激な知識人の特別な感情を誇張したものではないかと、どこか本気に受け取っていないところがありました。しかし、今回の生々しい映像は私たちの楽観論がいかに根拠のないものだったかを思い知らしてくれました。

 そもそもサッカーファンの中にはフーリガンと呼ばれる過激派がいることは世界的な現象ですが、今回、中国人が見せた日本選手への露骨な反感は、明らかに度を越していました。日の丸が焼かれ、日本公使の車が襲われという事態は、スポーツの世界のことだからと笑ってすまされる話ではありません。

 たまたま帰国中でスタジオ出演していただいた産経新聞の古森特派員は「もし、逆だったらどういうことになったか。すなわち、日本で中国の国旗が焼かれ、公使の車が襲われたなら、中国はどんな対応を示したかということを考えてみるべきです」と発言しました。確かに逆なら、中国は国交断絶も辞せずというような勢いで日本に激しい抗議をし、大問題に発展したことでしょう。

 しかし、日本政府の対応はきわめて冷静なものでした。上記の川口外相への質問は、今回の中国人の暴挙にたいする感想を聞いたものでした。川口大臣は中国政府に対して、これまでもこういうことがあるたびにキチッと言うべきことは言ってきたという趣旨のことをとうとうと話しました。美しい言葉が並んだその語りの内容は私の胸に全く響くものではありませんでした。私はインタビューをしている当事者ですから、当然、相手の答えに耳を傾けて必死に内容を把握しようと努めています。しかし、言葉が私の中でひっかからずに右の耳から左の耳へ、ただただ流れていってしまうのです。

 聞いているはずの私はいつの間にか、観察者になっていました。私の前でしゃべっている川口大臣の表情を映像として客観的に眺めるような心境になっていたのです。かすかな笑顔を浮かべながら、流れるように語っているその様子を見ていると、私の心にふっとある感情が浮かんできました。そして思わず、口をついて出てきた質問がこれでした。

「大臣、あなたは怒っていますか?怒ってないでしょ?」
 話している最中に何を聞かれるのかと思いきや、あまりに唐突な質問だったために驚かれたのでしょう。一瞬、たじろいだ様子でしたが、同時に彼女は自分に問いかけたと思います。「自分は怒っているのかどうか?」と。実に理性的な人ですから、いろんなことがその瞬間に頭を駆け巡ったのでしょう。果たしてこういうときに外務大臣が怒っていいものかどうか、そしてそれをメディアで明言していいものかどうか。しかし、聡明な彼女であっても、その答えは容易には出てこなかったようです。ですから、なにを話しているか分からないような言葉がズラズラ並んで出てきてしまったのです。

 しかし、視聴者の方ははっきりとしたメッセージを受け取っていたと思います。「川口外務大臣は全然怒っていないぞ」ということです。怒りは激しい感情です。怒るべきかどうかを理性で判断してから怒るというものではありません。怒りの感情はほとばしり出るものです。理性は怒りを抑えることはできるでしょうが、怒りを作ることはできません。大臣が怒るべきかどうか、迷っているということがテレビ映像で映し出されたわけですから、視聴者は「怒っていない」と判断してしまったに違いありません。

 これがまさにテレビの面白さであり、怖さでもあります。日の丸が焼かれ、自分の部下である中国駐在公使が襲われ、生命の危険にさらされても、日本の外務大臣は怒っていない。そういう事実が、大臣の「キョトン」とした一瞬の表情でバレてしまったのです。

 外交とは感情で行なうべきものではないことは重々、承知しているつもりです。しかし、国益のために外交があることを考えれば、駆け引きの手法のひとつとして怒りをはっきり伝えることも時には必要ではないでしょうか。それが、国際的にはむしろ普通のことなのではないでしょうか。

 怒るべきときに怒らないと相手のペースにはまってしまい、なめられてしまいます。中国にいつまでも遠慮しながら、ODAだけを捧げているようなお人好し外交が日本の国益につながっているとはとても思えません。中国国民には日本からのODAの情報などはほとんど伝えられず、いつまでも戦争中の日本軍の残虐性ばかりを誇張した反日教育を続けられているわけですから、こういった外交のあり方は破綻していると見るべきです。

 しかし、実は外務大臣や外務省だけを責めても仕方ないような気もしてきます。中国人が日の丸を焼いたりしたこの暴挙に対して、私たち日本人自身が本当に心の底から怒っているのかどうかということです。逆ならば、中国の日本大使館は一般市民のデモ隊で包囲されて大騒ぎとなっていたことでしょう。でも、日本の中国大使館が今回のことでたいへんな状況になったというニュースは聞いていません。私たち国民自身はせいぜい「ムカツク?ッ」といったレベルであって、決して激しい怒りに震えているといった状況ではありません。それは、それほど日の丸への愛着も、自分の国を愛するという気持ちも強くないからではないでしょうか。

 愛する大切なものが冒涜されれば、人間は自然と怒るものです。ふつふつと怒りが沸いてこないのは、私たち日本人がそれほど強く日本という国を愛してないからということなのではないでしょうか。「怒ってないでしょ?」と問われて「キョトン」としているのは、川口大臣だけではなく、私たち日本人みんなだったような気がしてならないのです。

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