HOME > これまでの著書・コラム > ぺるそーな

これまでの著書・コラム

コラム — ぺるそーな

「ぺるそーな」2004年12月号

 イラクで人質となっていた香田証生さんが首を切断されて殺害されるというショッキングなニュースは、私たち日本人に国際社会の過酷な現実を教えてくれました。

 10月31日放送の「報道2001」でもこの問題を取り上げましたが、私はとても複雑な思いでの番組進行を余儀なくされました。

 私は放送に入る前に、遺体の映像を見て実際に起きた現実をこの目で確認していました。AP通信が配信した国際映像には、病院で収録された香田さんの遺体が生々しく映っていたのです。

 しかし、この時点では「首を切断された遺体は香田さんの可能性もあるとして確認作業中」ということで、政府は事実を認めてはいませんでした。前日にいったん香田さんと認めた遺体が別人だったということがわかって混乱し、政府の情報収集力が問われたことがあって、過剰なくらい慎重になっていたようでした。

 一瞬、眠っているかのように見えたその顔は、よく見ると胴体とはつながっていませんでした。驚きをもって画面を覗き込もうとすると、次のシーンではその首が誰かに持たれてブラブラと揺れていました。それは誰がどう見ても、テレビで見覚えのあるあの香田さんでした。それはまるでホラー映画の一シーンのようでした。

 それは生放送の20分前のことでした。その映像はあまりにも残酷すぎて、とても放送できるものではありませんでした。私はスタッフと相談しました。この映像を前提に議論を進めていいものかどうかということです。政府がまだ正式に認めていない事実を私が勝手に確認したような顔で放送していいものなのかどうか、私たちは迷いました。じっくり考える時間的余裕もありませんでした。

 通常は政府が認めようが認めまいが、私たちが事実を独自に把握してそれを報道し、政府に対応を迫っていくというのが本来のあり方です。むしろ、それこそがメディアの使命でもあるはずです。しかし、人の生死にかかわることだけに、そんなところでメディアの大義を振りかざすというのは、ふさわしくないと思われました。

 結局、政府が認めるまでは未確認ということで番組を進行することに決めました。私たちが独自に入手したスクープ映像ならともかく、政府関係者もこの映像は見ているはずです。それでも認めないというのですから、私たちがフライングをする必要はないと判断したのです。偽造映像である可能性だって100%否定することもできませんし、たまたまそっくりさんがいた可能性だって100%否定することはできないのですから。

 ただ、そういう映像が配信されていて私が事前に見たという事実だけは話してもいいのではないかということになりました。しかし、実際に番組が始まった後では、おそらくこの番組をご覧になっているであろうご家族の視線を感じてしまって、私にはとても言い出すことはできませんでした。

 政府の正式確認は番組の放送が終わってしばらくしてからのことでした。驚いたのはその後に放送された10時からの「サンデープロジェクト」でも、まだ確認していないという前提で議論を進めていたことでした。NHKはニュース枠を拡大して、リポートを始めていただけに、二つのテレビを並べて見ていると不思議な感覚にとらわれました。

 他局の番組の背景についてはよくわかりませんが、政府が認めても自分たちが独自に確認できなければ認めないというのは、マスコミとしての見識であることは間違いありません。ただ、ことほどさように私たちテレビメディアというのは、いろいろな批判を受けながらも人権やプライバシーには配慮し、事実の確認には神経を使うものなのです。

 ところがこの対極にあるのがインターネットの世界です。この香田さんの残虐な遺体の映像はその後もテレビで放送されることはありませんでしたが、インターネットでは流されていたようです。かつては人質の首を切断する状況が生々しくインターネット上に載せられたこともありました。

 絶叫する人質と噴出する血しぶき、首が切り落とされていく様子がそのまま、映し出されたのです。それは人権もプライバシーも全く配慮されることもない無法地帯です。伝えられる内容が事実であろうがなかろうが、それは受け取り手の勝手であって、ほとんど規制しようのない世界なのです。

 今では、私たちテレビメディアがどんなにプライバシーに配慮し、慎重に伝えようとしても、視聴者の方はすでにインターネットによって知ってしまっていることもしばしばです。これがまた、真偽のほども定かでないいい加減なもので、論ずるに値しないものならいいのです。しかし、今や影響力の大きさはすでに既存メディアを凌駕するほどにもなってきているからやっかいなのです。

 今回のアメリカ大統領選挙にしても、ブログというインターネットの新しい仕組みが選挙の行方に大きな影響を与えました。民主党の候補者選びの中で、当初、優位に戦いを進め旋風を巻き起こしていたディーン候補が、ブログの中で一気に脱落させられてしまったのです。

 どこかで行なった演説の最後にディーンがたまたま発した「イェ?!」という言葉が致命傷になりました。たった1回だけの言葉だったのですが、その部分だけを取り出しておふざけでいろんな人が勝手に加工して流し、ネット上での一大ブームとなりました。そして、ディーンと言えば、「イェ?!」という強烈なイメージができあがり、大統領にふさわしくない軽い男として抹殺されてしまったのです。

 かつてクリントン大統領が不倫騒動で窮地に陥ったとき、インターネットがテレビや新聞報道にも大きな影響を与えたことがありました。既存メディアというのは、噂話をそのまま報道するということはありませんでした。独自にウラを取ってから伝えるというのは当然のことでした。ところがその基本が崩れたのです。 不倫騒動についてのさまざまな新しい情報が、毎日毎日インターネットでどんどん流されたのです。その真偽のほどは確認しようもありませんでした。当初、既存メディアは独自調査できるまで伝えないでいようとしていました。しかし、大量の新しい情報がネットで次々に展開され、多くの国民が知っている状況であるのに、既存メディアが伝えないままでいるというのはおかしなことになってきました。

 そこで、ある時から我慢できなくなった既存メディアがネット上の情報も情報のひとつということで扱い始めたのです。そうなると、いったいどれが本当の真実で、どれが噂なのか、渾然一体となって分からなくなってしまいました。

 ちょうどその頃、私はワシントンに駐在していましたから、メディアの新しい時代の抱える問題点を強烈に印象付けられたことをよく覚えています。調査報道で輝かしい伝統を持ったアメリカのマスメディアに対して尊敬の念を抱いていた私の中のイメージは、ガラガラと音を立てて崩れていきました。

 インターネットと既存メディアの攻防は、これからますます困難な状況に入ってくると思われます。だからこそ、既存メディア側はプライバシーや人権には余計に敏感にならざるをえないのではないでしょうか。そうやって差別化をはからなければ、ネットの新しい渦に巻き込まれてその存在意義自体をなくしてしまうことにもなりかねないと思うからです。一定の節度を持ったマズメディアが消えて、すべてネットの情報だけになってしまうとどうなるか、想像するだけも恐ろしい社会です。今こそ、私たちが踏ん張らなければいけないと思う次第です。

» コラム一覧へ

リンクサイトマップ