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コラム — ぺるそーな

「ぺるそーな」2005年 1月号

 最近の「報道2001」ではスタジオに大きな日の丸が翻っていることがたびたびあります。北朝鮮や中国に翻弄される日本外交のあり様を論じ、これでいいのかニッポン?などという議論をする時に、セットの一部として、ディレクターが用意したものです。

 これは右翼的な思想のスタッフが確信を持って掲揚しているのではありません。フジサンケイグループだから、上司の指示があるのかなんて思われていたら心外です。

 私はそれを見るたびに時代の大きな変容ぶりを実感せざるをえません。かつてなら、なんと時代がかった右翼的な番組だと思われたことでしょう。しかし、日の丸を使用している30代のディレクターたちにとって、それはデザインのひとつにすぎないのです。日の丸だからと言って、特別視するという発想そのものがないのです。サッカーワールドカップで顔に日の丸をペインティングしている若者の感性に近いかもしれません。

 これがまさに今の時代の空気を現していると思います。日の丸は私たちの生活の中に、自然な形で溶け込んでいます。一部の学校で未だに日の丸掲揚に対して抗議している教師がいるなどというニュースを見るにつけ、左翼の化石みたいな人もまだ残っているのかと郷愁さえ覚えてしまいます。

 右翼だ、左翼だという区分そのものがすでに意味をなさなくなっていることもあるでしょうが、かつて右翼と思われたものの相当の部分が、今は時代の真ん中に来ているということなんだろうと思います。

 先日、「報道2001」の番組の中で、石原慎太郎都知事が日本最南端の領土である沖ノ鳥島について、次のような爆弾発言をしました。島ではなく、岩だと主張し、日本の排他的経済水域を認めないとする中国に対して、沖ノ鳥島はあくまで日本の領土であることをアピールするために実力行使に出るという“過激な”ものでした。

 「沖ノ鳥島は東京都の管轄ですから、あそこで経済活動をします。漁業施設を作ります。(もし、そこに中国の原潜がやってきたら?)その時は一戦もうけます」

 都知事という公職の立場で、根強い総理待望論まである人が、中国と一戦を交える覚悟というのは、かつてなら国際的な大問題に発展したでしょう。平和運動家と自認する人たちが、大挙して都庁舎に押し寄せ、いわゆる反戦行動を全面的に展開したことでしょう。私もその言葉を聞いた瞬間は、マズイことになるかもしれないと心配しました。

 ところがどうでしょう。驚くほどにどこからも、なんのリアクションもありません。石原さんの発言はいつも過激だから、みんなが聞き流したということなんでしょうか?そういう側面もあったかもしれませんが、「一戦を交える」発言への抵抗感よりも、中国の横暴ぶりは黙って見ていられないという日本人の心情の方が強かったということではなかったのでしょうか。

 考えてみれば、つい先ごろまで国民の多くから毛嫌いされて、鬼っ子のような扱いをされていた自衛隊も、今や国民の熱い視線にさらされています。イラクのサマワに派遣された第一期の隊長などは、その後の赴任先までがニュースとなって流れるほどで、スター的な存在となっています。

 自衛隊を海外に派遣することへの猛烈な抵抗感から、携行できる銃は一丁だ、二丁だというくだらない議論を大真面目にやっていたのも、遠い昔のような気がします。かつては、自衛隊が海外に出ただけで軍国主義が復活し、すぐにでも侵略戦争でも始めそうな議論をしていたのに、今では自衛隊員の安全確保が議論の中心です。自衛隊が海外に行くことそのこと自体に抵抗感を示す論調も、勢いがなくなりました。

 石原都知事が緊急医療支援訓練・ビッグレスキューで、銀座に戦車を走らせたと言って大騒ぎしていたのはわずか数年前のことでした。それが今回の新潟中越地震では自衛隊が素早く行動したことを高く評価する論調が主流となりました。

 有事を想定して自衛隊幹部が対策を練っていただけで、社会的大問題になったことも、有事法制が出来上がった今から振り返れば、なんとも不思議なことです。私たちはいったい何にこだわっていたのか、何のための議論をしていたのか、あの当時、私たちは本気で日本を守る気があったのかどうかすらよく分かりません。

 かねてから右翼の論陣を張ってこられた諸先輩方は、今や得意満面といったところではないでしょうか。「国のためにいのちを落としてはならない」という戦後教育を受けてきた私ですから、正直言って学生時代までは、当時の右翼論者の主張に素直に耳を傾けられないといったところがあったことは事実です。

 時代の空気は大きく変わりました。ところが未だになお、国の基本である憲法そのものは少しも変わっていません。それはよく考えてみると、不可思議なことと言わざるをえないのではないでしょうか。中国や北朝鮮の横暴に毅然と対応しなければならないと思い、自衛隊が世界中で活躍する現状を自然に受け入れているにもかかわらず、憲法をそのままにしているというのは、決して胸を張れることではないと思うのです。

 憲法を無理やりに解釈して、現状をなんとか容認する手法はもう限界を超えていると私は思います。憲法改正の下地はすでに十分に出来上がっていると私は感じています。

 えっ、なんですか?私も立派に右翼論者になったですって?いえいえ、私としては右翼になったわけではなく、現実的になっただけだと思っているのですが。えつ?それこそが右翼論者ですって?失礼しました。

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